そのまま


そのままのあなたでいいよ、って、
今そのままの状態にとどまってる、というよりも、

じぶんがそうあろうとする姿、そのままでいいよ、
って感じかな〜と思う。

こっちの方がいいはずだって、
頭で考えてムリにそっちに行こうとするんじゃなくて、

じぶんの心がすんなりと向くほうへ、
伸びていく。


やる気が起きなくなったり、
なんか落ちつかなくて、
どしっとお腹に力が入らないときは、

「すんなり」、じゃないところにいる違和感が、
少しずつ、でもどんどん溜まってきたときなのかもしれないな〜。


夏至は過ぎた。

夏至のまえ、
なんだか透明感があって、軽やかな朝。

わたしはわたしで、
それ以上でもそれ以下でもない。




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サガン


有名な人のホロスコープを読むのは、
いつも、おもしろい。

ホロスコープに描かれた特徴が、
分かりやすくあらわれているから。


このまえは、
『悲しみよこんにちは』の作家、
フランソワーズ・サガンのホロスコープを読んだ。


実存主義といわれる彼女の文体は、

たんたんと、
ときにシニカルで無気力なイメージ。
悲観的な感じのときも。

そして、
それがすごく魅力なんだと思う。
わたしも十代のころは、一時期はまってた。


サガンのホロスコープには、
そのシニカルなものの見かたや、
覇気のなさ、という特徴が読みとれる。
(文章家として成功する可能性もね(^.^))


もっている素質をいかしてるんだな〜って思う。

その特徴は、
才能として表現されなかったら、
もしかして、ネガティブなものととらえられたかもしれない、とも思う。


もって生まれたものをどういかすか。

ハードに感じがちな特徴をもっていたら、
それははじめは強いコンプレックスとしてあらわれやすいんじゃないかな。

ここと向きあい、自分のものにする努力をとおして成長したら、大きな才能になるパワフルさもある。


そんなことをまた考えてた。


(サガンの薬物中毒とか、ゴシップクイーンの側面は、またちがうテーマで、あれこれ考えてみるところ。。)



横浜の街かどにて。
フランス月間らしいの(^_-)



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into the gate


ほとんど毎日、通る公園。

すこし前の朝、通りぬけようとして、
公園の出口に立っている2本の木が気になった。

たんなる公園の出入り口ではなくて、
なにかのゲートに見える。


このゲートをくぐりながら、
「ああ、ここからまた、
物語のあたらしい章がはじまるんだな。」
と思えた。


この夜は、ピアノのコンサート。

ピアノの音と一緒に、なにかが心のなかに入ってきて、

懐かしいアルバムをめくるように思い出をひきだし、

あたらしいイメージに反転させ、
まわりの景色が広がっていく。

沈んでいたモノが、洗いながされていくみたい。


その夜は友だちと話しながら、
ひとつの締めくくりと、次のはじまりを感じた。


もひとつ言うと、次の朝も、

パソコンを開いて占星術用のソフトを立ちあげたら、
データが、ゴソッとなくなっていたの…
(°_°)

ショック。。。
そして、リセットだ、とも思える。


いろんなことがメッセージ。
そういえばこのごろ、赤信号に引っかからなくなった。

すこし前は、すぐに足止めをされていたのに。

そろそろ、わたしの水星逆行(見なおし期間)は終わりそう。

今夜は満月でもあるし、やっぱりひと区切り。(月が満ちる日付は3日)


天文暦では、逆行の終わりは12日だけど。

わたしはたいてい、
逆行はじまりも終わりも、すこし早い感じ。



☆すごくオススメです☆
平原誠之さんのピアノコンサート
official website

九州のみなさま、
10月7日に熊本公演もありますよ
(^-^)!







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蛍、constellation


今朝、目が覚めたら、頭の中に、
イメージのようなものが浮かんでいて、

駅へ向かう道を歩きながら、
なんとなく思いをめぐらせて、

「そうか、こういうことか(^o^)!」、
と腑におちた。

星のうごきと、
自分の変容(成長)と、
全体意識と、
地殻変動、

なんかについて。


その後、電車に乗って、
iPhoneにイヤホンをつないだら、
すでに勝手に曲が流れていた。

(わたしのアプリでは、
止めたはずの曲がまた流れていることは、
けっこうあるの(^^;))

それは、ラッドウィンプスの『 蛍 』



歌詞の一部 (作詞:野田洋次郎) ↓

いいよ僕には名前はないけど、
僕が消えるときはちゃんと泣いてよ
そのとき一番眩しかった星に
僕の名前つけてほしいな



そしてその後に、
ジャック・ジョンソン の
『 constellation 』


constellation って、なんだったっけ、
って調べて、

思い出したけど、『 星座 』だよね。
なんと。。。!

歌詞の和訳の一部 ↓

ある日の夜
日が暮れて 月が出たら
僕たちは光を浴びるため
月の下に横たわり
全部聞かせてくれるんだ
空の物語を
そして僕らだけの星座を描くんだ




シャッフルになっていたから、
アプリが適当に選んだ 笑 のだけど、

歌詞を聴いて(読んで)、
気持ちにピッタリだったから、

「なんとタイムリーなの(^o^)!!」
と驚いた。


ときどき、こんな風に、

目に見えない、なんらかの存在と、
対話しているような気がするときってある。




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水色のことば


JRの関東の大きな駅によくあると思う、
ファッションビルのルミネ。

このシーズンごとの広告、けっこう気になってた。

蜷川実花さんのあざやかな写真と、
キュッと胸にくるキャッチコピー。

そしたら、この前こんな記事をみつけた。

ハフィントンポスト日本版

ルミネのキャッチコピーを作っているのは、
尾形真理子さん、という方なんだそう。



インタビューのなかで語っている、

“ 広告” は、
「企業と生活者をつなぐコミュニケーションだ。」
というお話や、

一方通行で言ったもん勝ち!みたいな、
ネットでの発言に対する危機感、など、

共感するところが多くておもしろかった。

“ 水色の自己主張 ” という表現も素敵だ。


いろんなことが簡単にできるようになったからこそ、
むしろ丁寧に。

ひとつひとつの言葉や動作を、
丁寧に紡いでいきたいな、とあらためて思うな。

たとえ相手が言葉でキックしてきたとしても、

おなじテンションに引き込まれるのではなく、

“ 水色の ” 言葉を、
凛として使える自分でいたい。







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なにが現実をつくるの?


「なにが現実をつくるんだろう?」というのは、ずっとわたしの胸のなかの問いのひとつ。

いま、わたしが持っている答えは、
人の心のなかに、そのひと自身の現実をつくる工場がある、ってイメージ。

“ 工場 ” は、無機質で冷たい感じは悲しいので、
映画『チャーリーとチョコレート工場』みたいにしてる(^-^)

野原と、色とりどりの花と、チョコレートの川と、ちっさい職人さん。

(映画『チャーリーとチョコレート工場』より、お借りしました)


心のなかの、じぶん工場は、せっせと働き、目の前の現実をつくっている。

工場の生産ラインは、
意識している部分も、意識してない部分もふくめて、
自分のなかの『こうなるはず』という思いグセでできている。

だから、望んでないのに(と感じる)ショックな出来事をがおこったときには、
自分の工場が、実際には何を生産しようとしているのか(=思いグセ)を、ちゃんと知ってみるチャンスかもしれない。


望んでないのに、と感じるってことは、頭で指示しているつもりのことと、
実際の工場のプログラムが、ちがっているってことだから。


頭でどう考えていようとも、
現実はシンプルに、心のなかの工場のしくみをうつしだしている。

だから、ショックな出来事をつくりだしている工場の、生産ラインの改造やメンテナンスが必要だってこと。

きっとそこには、固くこびりついた思いこみや、重い感情による目づまりや破れ目があるんだと思う。


これは、何かが悪いというアラさがしではなくて、ただ、つくりたい現実に合った工場のプログラムになっているか、点検する、ってだけ。

これには、温かく自分の心と体の声に耳をかたむけて、出てきた感情すべてにただ寄りそう、という方法はオススメです。

否定もアドバイスも褒めたりもしないの。
ただ心と体が言いたがっていることをそのままに受けとめて、「そう感じてるんだね」って共感するだけ。

ここでは、感情や思いこみと同化しない、ニュートラルな視点でいるのが大事。
それぞれの感情や思いこみ、共感している人格は、別々にいるイメージで(^^)。


過去に受けとめてもらえなかった感情や望みは、絡まりあい重なりあいモンスターのようになっていて、はじめは痛みや怖さをともなうけれども、

寄りそっていると、解けてきて、メンテナンスが必要なところを教えてくれる。



それに、こういう点検やメンテナンスをするのに、星読みやタロットリーディングはピッタリなのです(^_-)

なぜかというと、じぶん工場の今の生産プログラムをはっきりとうつしだしてくれるものだから。







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ご機嫌でいる

最近は、自分が “ご機嫌でいる” というのを大事にしてる。

居心地よくいて、そうあって当然、と思っていたら、そうある出来事を選んでいくことができる、と思って。

これは、自分が良ければいい、というのとはちがう。

相手がどんな態度であっても、
たとえば相手にイヤな態度をされても、それに影響されて自分の心にドンヨリしたものを溜めるよりは、
自分でケアして綺麗にしておくって感じ。


相手の気持ちを考えずに、自分の言い分だけを通そうとしているときは、自分の心の奥には、実は違和感が生まれている、と思う。
その時には気づかないふりをしていてもね。本当の自分は気づいてる。


だから、ちゃんと自分と向きあうってことは、ちゃんと相手の反応とも向きあうことになる、んだろうな。




気軽に思いついて始めたけれど、これは、けっこうナアナアではできないのですね〜。



なぜかというと、

たぶんもっともご機嫌でいられないのは、自分の心にウソをつくことなのだろうから。

だから、ご機嫌でいるには、つねに心の動きを感じて、客観的にながめて、今のベストの選択をしてあげるようと努めることになる。


だから、自分らしさを生かす、ってことにつながってる気がする。

やっぱり、心と体の声をよく聴くってこと、なんだろうな。



陽が高くなったこのごろ、晴れた日の午後は、
窓辺のサンキャッチャーが、光をつかまえやすい♪


7色分かる(^-^)☆



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お味噌汁から考えたこと


ふと、朝、「お味噌汁をつくろう!」と思ってつくった。

最近はよゆうなくて、簡単に、おにぎりだけ、とかだったのだけど。。
今朝は気分がちがってて。


シェアハウスのキッチンは共有スペース。
自分の分をよそったあと、まだ一杯分あったので、ちょうどそこにきたシェアメイトにも飲んでもらった。(会うのは久しぶり)

お味噌汁を飲んだ後、彼女が
「ありがとう」と。
「気持ちがすごくラクになったよ」としみじみ言ってくれて、
ああ、よかったな、とわたしもうれしかった。

なんでも、彼女は昨日とても辛い出来事があり、すごくキツかったのだそう。

それでも仕事に行かなくちゃと、
何か軽くでも食べなくちゃ、と思ってキッチンに来たところだった。



わたしにとっても、この手作りの味噌をつかったお味噌汁って、疲れてるとき、落ち込んでるとき、ホッとして、体が落ちつく食べ物。



こういうタイミングで作りたくなって、
意図してなかったけれど、お役に立ってうれしい。



何となく「そうしよう!」と思ったことが、
どこかの誰かの意識とつながってることってあるのだろうな。

前に読んだ『月の癒し』という本のなかに、似たようなことが書いてあったのを思いだした。



この本は、チロル地方で昔からおこなわれている、月のリズムをつかった民間療法などについて書かれてる。

誰かが病気になったとき、それを癒すために必要な植物が、その人の庭やちかくの野原に生えてくるのだそう。



そういえば、子どもの頃、
アトピーがひどかったわたしの家の裏庭には、ドクダミ草がたくさん自生していた。



世の中のすべてが循環してる、と考えたら、植物だけではなくて、人どうしでも、お互いに必要なものを分けあう、という、引きよせのような流れっていつでもあるのかもね。

思えば、自然や植物は、分けあうというよりも、ただ与えてくれている、のだよね。感謝。

あのときのドクダミ草にも、ありがとう。

母はときどきドクダミ草を煎じてくれていた。
けれども、味がキライだとか言ってイヤイヤ飲んでたわたし。

あの頃、こういう自然のしくみを知ってたら、味わう気持ちが変わったかな。

辛さに、さりげなく寄りそってくれる自然の草の不思議さを理解できていたら、

まず、心が癒され、そして体への効き目も強まっただろう。

なんて考えてみてる。

星読みをはじめ、目に見えない部分からも、この世のしくみを理解する人でありたい。

(こういう存在のことを魔女っていうのかな?)







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プリズム


昨日、ふっと、頭のなかに「プリズム」という言葉が浮かんでいた。

サンキャッチャーが太陽の光をうけて、
虹色の光を壁にうつすように、

白い光を屈折させて、虹色の光にかえる、ガラスや水晶のこと。



ホロスコープを読んでいて、
星と星の角度が72度になっていると、
そこには、遊び心や子どものような創造性が生まれる。

72度が3つ以上ある人は、創造性あふれる才能がある。

わたしはこの星まわりが強い日の空気感が好き。

キラリと軽やかに輝く、楽しげな、粒子が漂ってる感じがある。

それは、プリズムを通してできた虹色を見つけた感覚にも似てるな、と思った。



このところ、リーディングさせていただいたホロスコープのなかに、この72度を3つ持つかたが、お二人いらした。
お二人とも、このキラリと楽しげに輝く感性を感じた。

同時に、お二人とも抑圧感や悲しさも強かっただろうと推しはかれる星まわりで、
実際にそういう面はあったそう。



ただ無邪気に楽しいとはちがう、
悲しさや重たさをこえたところで、
ひょうひょうとした軽やかさを身につけている感じ。

それは、雨(涙)があがったあとにかかる虹とか、

砕けちったガラスの破片に反射した光が映した、虹色の影のようなイメージがする。




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愛なのか怖れなのか


最後にはそこにたどりつくのかな、と。

何をするにしても、
する何かがいいか悪いかではなく、
それをしようと思う動機が、愛なのか怖れなのか、だけなんじゃないかな、と。

そんな話を、昨日、友だちとしてた。

心のこととか、カラダとか、同じように興味があって、勉強している友だちと。



たとえば、完璧主義って、怖れからきていること、多い気がする。

(完璧とは、なんなのか、ということからして、それぞれに定義はあると思うけどね。
そもそも、完璧になれることなんて、あるのかな。。)


まあ、完璧主義、をたとえにしてみる。

完璧でないと認められない、愛されない、

だから、

さらに知識やスキルを身につけなければならない、

という動機は、怖れ、で、


さらに知識やスキルを身につけたら、より深く理解できたり、可能なことが増えるから楽しい、とか、

まわりの人が喜んでくれるから、うれしい、

だったら、愛(喜び)が動機になってると思う。


結果として、知識やスキルを身につける、という目的はおなじでも、動機が愛なのか怖れなのか、のちがいは、とても大きい気がする。

そのものごとが生みだすエネルギーの質が全然ちがうんじゃないかな。


私の体感としては、

怖れが動機だと、カラダも心も萎縮する感じ。


愛(喜び)が動機だと、カラダや心がノビノビとする感じ。

だから、できないからダメだとかそういう気持ちにもならない。
できたらうれしい、ってだけ。


だから、動機には愛(喜び)を選びたいな、とあらためて思ったのでした。






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