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HP 星の相談室 チエ・タハティ
惑星ノート カレンダー

良くなる前に悪くなる


アトピーで脱ステロイドをして、
ぜんぜんステロイドを使わなくなって、
10年くらいたった。

一説には、ステロイドの影響がぬけて肌が健康になるには、使っていた期間の3倍の期間がかかる、とか。。

まだ3倍の期間は過ぎないけれど、
はじめてそれを聞いたときの気が遠くなるような感覚よりは、ぐんと終わりに近づいている。

終わり、と書いたけど、壊してしまった肌は、完全には治らないのかもな、と思うときもある。

負担がかかったとき、体の弱った部分に症状が現れると思うから。


年末からこっち、肌の調子がとっても悪い。

体を温める、肌を作る材料を充分食べる、ちゃんと睡眠をとる(これが最近乱れがちかな^^;)いうことに気をつけてきて、ずいぶん改善はされたけれど、まだまだだな〜、と落ち込んだりもする。


昨日くらいから、少〜しずつラクになりはじめた。

こうなってくると、肌の土台が、前よりも丈夫になってる気がする。

肌が自然治癒力を発揮できるような治療法をするとき、(つまり、薬の力で症状をただ抑えるのではなく、環境や生活スタイルなどの根本的な原因を改善しながら症状を出しきり治癒していくのを見守ること)、良くなる前にはいったん症状が悪くなるのは、何度も経験している。

そのたびに、ひどいときには落ち込み、苦しく、何度くり返しても、この感覚はなくならない。

でも抜けだすと、より良くなっている。
気分もようやく前向きになる。

よゆうがでて思うのは、冬至からの切り替えかもな〜ってこと。
変身のときかな。


はやく春来い。
(と、なぜか言いたくなったの^ ^)

春先は、冬の間に固まってた体がひらいていくから、またデトックスあるけどね。





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あたらしい年おめでとう


あたらしい年、おめでとうございます。



どこかで読んだけど、
おめでたいから、おめでとう、というわけじゃなくて、

あたらしい年をおめでたくするために、おめでとう と言いあうって。

それがなんだか素敵だな、と思って、
あちこちで誰もかれもが言ってるから、、、とか遠慮したりせずに、
たくさん言おうと思った、少し前。


いつも読んでくださってありがとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

素敵な年にしましょう☆



この前引かせていただいた、インナーチャイルドカード。

蝶々の羽、わたしにも付いてるそうよ (*^^*)ってことで、お気に入りです。


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大切にすること


心理占星術、とくにノエル・ティル心理占星術式のリーディングをはじめてから、しっかりと身についたことのひとつは、ホロスコープにあらわれたその方の素質すべてに敬意をはらうこと。

もちろん、占星術をしていなくても、わたしは人が好きで、敬意をもっている。
そういう教育をあたえてくれた親に感謝してる。

ノエル・ティル心理占星術を通して、それがさらに強化された。

現実を生きる、生身の人間として、その方が、どんな環境のなか、どんな選択をして生き抜いてきたのか。

そのなかで培われた、生き抜くための力、考え方、抱いている怖れや悲しみ。うれしいこと、愛すること。

それを理解しようとして、占星術師としてのわたしはホロスコープを読む。

人の人生を目の前にして、せまい価値観や思いこみでの判断をくだすなんてできることではないよね。

ご本人の話を伺いながら、気持ちに寄りそい、現実を知り、その方が本当に望む道を歩いていくために、星があらわす地図を読み解き、お伝えする。


自分 とは、まずはじめに出会う他人、ともいえるかも。

まずは敬意をもって向きあう他人はなによりも自分だね。

常識や古びた過去のパターン、思いこみにとらわれた思考ではなくて、いまの自分の感性と体。

頭から出てくる判断は、いまの自分を否定して、こうするべきと批判することも多いけれど、体や心はいま本当に必要なことやふさわしいペースを知っている

何を感じ、何を求めている?
そうするようになった理由もあるよね。


いつもそんな風に、いまの自分 に寄りそう。
いまの感情に引きこまれない、俯瞰した視点をもちながら。



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できるようになること

おととい、天王星が順行になった。
天王星は、私自身の声を、つよく主張する。
跳びあがって、揺れて、わかったこと。
もちろん、ずぅと胸のうちでモゾモゾしていたことではあるけど。

天王星が順行になるとは、胸のうちであたためていたものを、表にだすこと。
だから、はっきり目の前にあらわれて、
分かりました!となった。

自分をより生き生きさせる環境をつくろうってね。




はじめから全部できるわけじゃない。

今の自分のままでいいわけじゃない。

種が芽をだし根をはって、
葉を広げ、
花を咲かせて実をつけて、、、

そんな風に人も育っていく。

種のなかにすでにある可能性は、
自分そのもので、
それはそのままでいいという意味にもなるけれど、

せっかくこの世に生まれたのに、
種のままでいるのはつまらない。
その必要もない。

根を葉を花を広げて、
いろんなことを味わうといい。

種のもつ可能性を、
目にみえる形にして表現すること、

この世を自分の姿で味わい、
いろんなことを経験して、
いろんな自分を発見するのが、
この世に生まれた意味のひとつかもしれないなー。

自分自身でいること、
そのための環境や材料を手に入れること、
自分のなかに潜んでいる可能性を発見すること、
そして世界を体で心で味わうこと。
それが今私のやるべきこと。

自然治癒力と星を読むこと


星を読む、とは、特別なことの感じがするかもしれない。


でもわたしは、専門家にならなくても、日常的に自分の心や体、運勢をととのえるのに、占星術のこと、基本的なところくらいを、あたりまえの知識としてみんなが知っていたらいいな、と思う。

星のうごきと自分の心と体のリズムがつながっている、という仕組みとして。



たとえば、昔とちがって、体や健康についても、情報や知識が多くなったと思う。

とくに私は、ホリスティックに体や心を診る、ということを知って、アトピーとの付き合いかたが大きく変わった。

薬に頼らず、自然治癒力で改善できるのだ、と知らなかったら、いま私の肌や体、そして生活は、どうなっていたか分からない。

自然治癒力に目覚めるまえは、薬で弱った肌はボロボロで、痛みで肌を空気にさらすのがつらく、引きこもって無気力になっていっていたのだから。


まだ完治したわけではないので、無理しないようにはしてるけど、こんなに元気にふつうの生活が送れていたかは分からない。



見えていない心にも、体と同じように、新陳代謝や治癒力、そして成長する力がある。

“こうすべき”という思いこみが強すぎ、内からの本当の欲求を抑えつけると、その力は弱ってしまう。


占星術は、星のうごきと人とのつながりを知り、流れと調和して、本来もっている生命力を生かして生きるのに役立つ。

それは自然治癒力を発揮することと同じかも。







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機が熟した

機が熟した、ってすごい言葉だってふと思った。

機 というのは、「ものごとが始まるきっかけ、はずみ」などと書いてあった。

熟す、って果物や実がなって食べごろになった光景が目に浮かぶ。

どんなに頭で考えて焦っても、
延々とただ歩きつづけているように感じて飽き飽きしても、
機が熟してなければ、その時ではない。

機が熟すまで、しなければならないことってあるのだろう。

そのタイミングが来ても、熟すまでに、必要なことをしていなければ、思う果実ではないんだろう。

スローに感じても、歯がゆくても、やっていたら歩きつづけていたら、思う以上に豊かに実っている時もあるんだろう。

武装解除


いま目が覚めたら、
『武装解除』って言葉が、頭に浮かんでいた。


自分もあたりまえにふくめて、
人って、いろーんな形で武装しているんだな〜と、あらためて思う。

「あー重たいな」、と気づいて、
やれやれと、動きを鈍らせていた鎧を脱ぐ。


その重たさに気づくのは、
どんな時だろう。


ポカポカと陽射しが暖かい、爽やかな風が吹く草原にたどりついた時だろうか。

誰も自分を傷つける人はいない、と安心できたとき?

鎧はなくても、自分が充分にしなやかで強靭だ、無敵だ、と確信できたときかな?

この鎧を着てるから、まわりの人が警戒して、戦いを挑んでくるのだと気づいたとき?

鎧よりもよい方法があるのを知ったとき?(まわりの人が手を差し伸べたくなる知恵とか工夫とか)

鎧がない方がアレコレ楽だと心底思ったとき?

軽くてしなやか、オシャレな今風の鎧が手に入ったとき?


ただツラツラと考えてみてる。

心の歌


いまリヒャルト・シュトラウスのホロスコープを読んでいる。

ドイツ連邦のバイエルン州の作曲家。
19世紀のロマン派を代表する。
後年の誕生日には、ヨーロッパの各地でお祝いのシュトラウス週間がもうけられるほど影響力があった作曲家、指揮者。

幼少のときから音楽の教育をうけ、さまざまな技を身につけ使いこなして、

前衛を突っ走るエキセントリックなオペラもつくったし、モーツァルト的な愛されるオペラもつくった。
大盛況の人気があった。

帝王と言われた人。
2面性があり、気さくで機知にとんだ顔と、俗世と交わらない自己中心的な印象をあたえる顔とをもった人だったみたい。



6歳ではじめての作曲をする。

そのとき、タイムテーブルのように時期をあらわす星のうごきをみると、月と水星が触れている。

月は子どもや素顔、感情、基本的な欲求をあらわす。
水星は、知性やコミュニケーション。

はじめて作曲したとき、「音楽で伝えたい」という気持ちをそのまま純粋にあらわしたようなイメージ。


亡くなる寸前まで作曲をつづけた。

彼にとって作曲は、激しく創作の苦悶をもたらす芸術ではなく、日々を生きることとおなじだったよう。



華やかな成功と、
作曲家の権利を守るための活動、
第一次世界大戦、
第二次世界大戦、
財産は没収され、
ナチスへの協力を疑われ糾弾された、
住まいを失くし、故郷を離れた、
帰ってきたのは亡くなる前。

激動の長い人生を経て、
それでも作曲はつづけられた。


この世を去る前年、84歳で作曲した、『最後の4つの歌』は研ぎすまされた透明な印象になっていった、という


その歌は、亡くなった次の年に初演された。

その時の彼のホロスコープでは、6歳のときと同じように、月と水星が触れている。


終わりの歌は、子どもの頃の、はじまりの歌と同じような場所にたどり着いたのだろうか、と思えて、私はしばらく目を閉じて『最後の4つの歌』を聴いていた。


星の記号は淡々と時期をあらわし、
けれどもそこに目を凝らすと、心の奥の琴線に触れる物語がみえてくる。
生きた人の息づかいに触れる気がする。




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ストーリーガール


わたしは昔は活字中毒で、身の回りにあるあらゆる活字を読まずにいられなかった。

ファーストフードのトレイに置かれた紙のシートとか。
裏側もひっくりかえして読む 笑

バスや電車の中吊り広告も。。
道路標識も。。。

もちろん、本を読むのも大好き。


両親も本好きだったから、実家にはたくさんの本があり、小学生のときに、それもほぼすべて読んだ。(父の難しい専門書を除いて)

すでに物置にしまわれていた本も、ダンボール箱からひっぱりだして、物置の中の長イスのホコリを払い、そこに寝っころがって読みふけっていた。


古いペーパーバックは、表紙もぺージの紙も黄ばみ、活字が細かくせまい間隔でならんでいた。

知らない漢字もけっこうあったんだけど、好奇心というか、中毒症状というか、そこはなんとか、とにかく読んでいた。


いまは、専門書など必要な本しかほとんど読まないのだけど、(町中の字も目についたら読むくらい)、この中毒症状は、なくなった訳ではない。



ホロスコープを読みはじめて気がついたのは、わたしは人が好きなんだな、ってこと。

人が何を感じ、何を考え、どんな風に生きているのか、の物語が好きなんだね。

だから、本がホロスコープに変わっただけなんだなー、と。


ホロスコープは、その人の物語。

まだ現実に姿をあらわしていないストーリーも読みとれる。

細やかな素材はすでにその方の現実の生活や、頭や心のなかにある。


星読みセッションは、私がホロスコープのガイドをさせていただきながら、その方とお話をして、その物語をとりだしていく作業だな、と思う。




ストーリーガールは、子どもの頃に気にいっていたモンゴメリの小説。
題名も素敵☆。
私はもうガールではないけれど、物語を紡ぐ人、のイメージで。






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