days

占星術は、星の言語を読み解く技。
それは、言葉。

日々、感じていること、起こる出来事を、星の言葉で語るってこと。

人のホロスコープを読むなら、それはその人の現実の生活、人生を超えない。


星の言葉を訳すなら、その人のいる現実をよく知ること。

(だからといって、現実自体を、過去の思いこみの枠に閉じこめる必要はない。)


星の言葉でモノゴトをみると、現実の出来事がもっている深い意味が読めるようになる。

現実の出来事が、宇宙のしくみとつながっていることが分かるようになる。
そこには深く、不思議な物語がある。



星は日々、動いていて、1日たりとも全く同じ日はない。

たとえば、サイン(星座)が12個しかないからといって、グルリと星が一周してきたときに、また同じだと思うなーかーれw


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12星座は、螺旋(らせん)を描いている。一周しても2度と同じ場所にはもどらない。



日々、星は動く。

それが教えてくれるのは、私たちもまた、1日として同じではないってことかな。

ささやかでも、新しい何かが体内で、心の中で動いている。

星が作用して変化をしている、というより、地球上の森羅万象も、その中の自分も、同じ流れのなかにいる。

その流れを自分たちそれぞれの形(現実)としてあらわしている。
同時に動いている。
シンクロしている。


ただ、この時しかない今が、つぎつぎにやってきてるね。




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今を創るもの

また、あれこれと考えてる(^.^)





現実を構築する知識や材料は過去からもってきていて、

こんな現実を創りたいというインスピレーションは未来からやってくる。

この2つのコラボレーションがしなやかな今を創る。



現実をつくる根拠を過去に求めると、伸びしろがなくて息苦しい。
過去からのパターンで、傷つきつづけることもある。
そして、過去を正当化する言い訳や、変化を怖れ、自分らしさを生かさない習慣を強める。

(過去からのパターンを抜け出すのは手強いことが多い。私にとっても。それをサポートするものはたくさんあるから、使ってみるのはオススメ(^^)。)


現実を創る根拠を未来からのインスピレーションにもとめると、伸びやかで生き生きとする。
たとえば、こうありたい、という夢や希望ね。まだ形として構築されてない不安定さはあるけれど、ここからそれに取り組むからこそおもしろい。



材料はまず手元にあるものを生かし切ってみる。これまで身につけたものはサポート的な役割にあれば、頼もしく実際的な土台となって支えてくれる。
つながった縁から新しい要素も入ってくる。


未来からのインスピレーションは、自分の本質(魂、スピリット)がささやく声。

未来はあなたのなかにある。



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説得力のつづき

説得力 からの思いつきのつづき。


その人の考え方や気持ちの形が佇まいにはあらわれる。

考え方や気持ちは、どこに意識を向けているか、から作られる。

本来の自分のあり方でいることが、まずは自分本来の良さを素直にだせる。
その状態は、周りからしても気持ちよく、説得力 あるのではないかな。

『自分らしく』(って、使いすぎる言葉みたいだけど、やっぱりこれを使いたい。)あることって、我の勝手をする、意味ではなくて、我がまま でいること。

我がままって、本来の自分の心のしくみ、本来の体のしくみ、をそのままに生かすこと。本来の姿って、自然(そして宇宙)のリズムとつながったもの。

思考でコントロールするのは狭い過去の檻に閉じ込められてる感じ。


思考も必要。現実世界で生きるためには。
でも思考に支配されるのは 檻の中。

体と心の示す方へ、思考を使って現実的に進む、のがいい。

現実を疎かにすると、自分にとっても自信がもてなくなって説得力が薄れるのもあるのかもね。




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説得力

説得力について話をしたから、その余韻はずっと頭の隅にあって、ふと、いま分かったことがある。

説得力。
その人が地位とか、財力とか、持ってるっていうのも説得力になるかもしれないけど、その当人が不健康だったり、不幸せそうだったら、説得力をわたしは感じないかな。

その人の佇まい、笑顔、声、文章、行動、ににじみでる何かから、説得力を感じるんじゃないかな、と思ったよ。
むしろそういうものがあるから、豊かさやパワーがついてくるのかもってね。
どうだろう。






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変わるもの




変えられるものと、
変えられないものとがある。

ちょっとそんなことを考えてみた(^^)
自分の頭の整理をするため。


まず、いま自分を悩ませているのがどちらかを見きわめる。

変えられないものはどういうものかな。


◎自分の基本的な身体や素質、
もって生まれた環境(生まれた家族や育った土地、過去の環境)
だろうか。

そういうものに関しては、自分の受けとめ方、距離感、つきあい方を変えてみる。


◎自己イメージや習慣、クセは変えられる。
性格と体質も変えられるところはある。
ここを変えたら、現実が変わる。

(うまくいかないことがあったとき、実際の相手をどうにかするというよりは、この自己イメージや自分の習慣を変えることと向きあう、のが必要だったりする。

過去に自分を守るために必要だったクセも、いまはむしろ大切なものや人間関係を壊す攻撃になる場合もある。大人になった自分は子どもの頃のように無力ではなく、できることも増えている。自分の気持ちに寄りそい、よりよい生活を手にするために行動できる。そこに気がつくと被害者意識から抜けだせるかもしれない。

逆に、痛みを感じないように心にフタをしたことで、自分を傷つける相手と関わり続けてしまうこともある。ここでは自分の感情をケアし尊重する習慣を身につけて、傷つける相手から適切な距離を置くことが必要。)


◎所属する場所、関わる人たち、日々の過ごし方、とりくむ物事を、どう選ぶかは変えられる。

ここはきっと、自分の習慣や自己イメージと繋がっている。

だから、ムリなコントロールをするよりも、そうありたい自分でいて、流れにのっていれば、必要な縁がやってくる。

流れにのる秘訣は、感謝と行動かな、と思う。


行動は、思い込みやその場の感情にとらわれたものじゃなくて、自分の本質とものごとの自然な道にそった行動。
ここぞと感じたら動く。

そして、日々の生活を丁寧に、感謝して過ごすこと。


変えられないものにも、
変わるきっかけをくれるものごとにも、
そのとき分からなくてもきっと意味がある。



運勢とは、現実世界での自分の行動と、
宇宙のサポートとのコラボレーション☆

だから、現実世界で自分ができること、を無心に、自分自身の一生懸命で、する。
そうありたい自分に合う習慣を身につけていく。 ただそれだけ。
そこにサポートはやってくる。


自分にとって意味が見いだせないなら、誰かのために、という視点をもつのも悪くない。

自己犠牲ではなく、誰かのために(自分も含めて)みんながうれしい、という視点が自分らしい人もいるから。



それに何かしていなきゃいけない、っていうわけでもない。
意識が混沌となって言葉にできなくて、何もする気がおこらないときは、変容のときと思う。
ゆっくりと自分の奥底で何かが変わっていっている。
そういうときは私は、生きるために必要なことだけやって、あとはぼんやり、リラックス、心のうごきを少し離れた視点からありのままに眺めて、感情を味わい、よく眠る。




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科学的な姿勢って

先日は、心理占星術のセミナーに出席した。

おなじ興味のあることを追求している人たちと学ぶ時間は、とてもとても刺激的でたのしかった。

全員はじめてお会いした方ばかりなのに、すでになつかしく思えるほど。

そんななか父と私のことをふと思う。

母は私と父の気性がたいへん似ているとよく言っていた。

ホロスコープでも父の影響はつよく読みとれる。

私の父は化学者だった。
私は幼い頃、休日に父の研究室に一緒に連れていってもらった記憶がある。

おとなしく(たぶん 笑)お絵描きなどやっていたのだろうけれど、さまざまな薬品の独特の匂いや、めずらしい形の実験道具のイメージはまだなんとなく覚えている。


父はしつけが厳しく、とくに言葉の使い方が激しく、萎縮するほどのプレッシャーがあったので、その痛みも関係性のなかにはあるのだけど。
(父は言葉を介さない幼い子供や動物たちにはものすごく好かれる。わたしも幼い頃には仲が良かった。)

その痛みに対する私自身の防衛的な姿勢については、ずっと理解しようとしてきたし、ずいぶん自分で自分を解き放つことができた。

だからまたさらに父との関係をおだやかに理解できるようになったのだろう。


父から厳しく叩き込まれた結果できたのは、萎縮するほどの防衛的な姿勢だけではなく、客観的にものごとを観察して(思いこみにとらわれないように)、徹底的に追求し、とことん自分で考える、ことだった。

化学的(科学的)姿勢というのは、まわりで言われていることを鵜呑みにするのではなく、「ここには何かある」と興味を感じたことを、先ほど書いたような姿勢で取りくむこと、なんだろうな。

そして私はそんな対象として占星術や、人の無意識をあらわすタロットリーディングを選んだんだ、と腑に落ちてきてる今。

そのしくみを科学的に証明したい、というより、占星術やタロットリーディングを通して、人の心や精神、そこにかかわる宇宙のしくみを理解して、その技を使いこなし、流れのなかで生きたい、という意味で。

求めてるものはなにかというと


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ホロスコープやタロットのリーディングはその手段で、わたしが求めていることはなにかというと、それぞれの人が持って生まれたものを理解して、それがそうある姿で生かされているのを見ること。

最近、youtubeで、イギリスやアメリカで人気のオーディション番組を観るのにはまってる。

前からこの動画は好きなのだけど、いま集中して観てる感じ。

番組の盛りあげ方がヤラセっぽいという声もあるみたいだけど、人を楽しませるためのショーだし、少しばかり大げさなBGMや審査員のリアクションはあたりまえかな、とわたしは思う。感じてることを普段よりも大げさな表現であらわさないと分かりにくいし。

ただ、出演している方の歌やエンターテイメントやダンスの実力は、ごまかしようがない。

それぞれの人が、自分のなかに抱く才能の種を見つけて、守り、育て、家族やまわりの人がサポートして、花ひらくものは輝いてる。

自分らしさユニークさ、というのは、花という姿になってあらわれるまでは、常識の世界からすると、変なふうに見えたり、大したことないと思われるときもあるかもしれない。

でもきっと、まわりの声に振り回されすぎずに、自分の心の奥のささやきに耳を澄ませば、予感をとらえられる。

オーディションのように、舞台の上でパフォーマンスを披露するのだけが才能なのではなく、「日々を穏やかに過ごそう」と心がささやいているならそうだし、「細かいパーツをひとりで集中して組み立てたい」なら、そうあることがユニークな才能だと思うし、あらゆる形があるよね。

ただ、感じるのは、人は社会的な生き物だから、そうある姿でもって、社会的な立場を認められること、が必要なのだろうな、と。直接人と会わなくても、作品や、陰ながらしている働きが人を助けているとか。

その「社会」、というのは、家族やひとりの相手でもよいのかもしれないし、動物や植物のときもあるだろうけれど。そうある姿の自分を受け入れて、喜んでくれる存在たちがいるってことが、大事なんだろうな。



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ダイモン

ダイモンは、
『ライラの冒険』という物語のなかにでてくる、精霊のようなもの。
動物の姿をしてる。

ライラの世界は、この世界と似ているけれどちがってて、人間はみんな、その人のダイモンをもっている。

ダイモンは人間からはなれることはできない。そのひとの分身で、本質みたいなもの。

誰でもそばに、こんな動物をつれている。








ホロスコープを読むって、ダイモンを知ることだなって思った。

ダイモンは言葉をしゃべれて、以心伝心の友だちみたい。人間よりも直感がするどい。

わたしのダイモンはどんな姿だろう。。
山猫なんてのもいいな。(o^^o)



ちなみに、ライラがつかってる黄金の羅針盤=真理計 は、用途はタロットにちかいと思った。


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技を使う、ということと、
技を使いこなす、というのは、
全然ちがうんじゃないかな、と思う。

わたしが身につけた技は、
洋裁と、星読みと、タロットリーディング、として。

洋裁は、名工になり、技で勲章も授与された先生に習っていた。
おなじ布を断つ、にしても、縫う、にしても、それは私もできるのだけど、
先生が、布や道具の心、とつながっている感覚は、あざやかで、見事だった。

毎日、休むことなく、心をかたむけて、ひとつの技を磨きつづけて会得した境地だから。


星読みも、タロットもおなじ。
何かその真髄というか“ 心 ” に触れる瞬間が、あるのが分かる。
それはただ、記号をあてはめて読んでいるのとはちがう。もちろん直感もあらわれるけれど、それは技としての読解を重ねた先にあるもの。

どんなものでも、ひとつの技を極めていくなかで見いだすのはきっと、ある同じ真実かもしれない。


ムリやり動かすのではなく、布の声をきくのよ、と。
心を静かにして、アイロンの声をきくのよ、とおっしゃった言葉は、精神世界で悟りといわれる観念に通じる気がするから。



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ファンタジー


TEDで才能について語ったエリザベス・ギルバートのプレゼンを以前みたことがある。

創造性を育むには(DisitalCastのサイト:日本語字幕つきです)

その発想をはじめて聞いたときには驚いた。
だけど、理解したあとは、「そうだな、そうだろうな」と素直に思えた。

彼女の小説『食べて祈って恋をして』は、世界的なベストセラーになり、ジュリア・ロバーツ主演で映画化もされた。

そうすると、次の作品への多大な期待や、もうダメだろうというまわりの悲観的な態度、なんかにつぶされそうになる。

そんな自分を救うためにも、才能について、過去の文献や見聞きしたことから、考察を重ねて、ある考えにたどりつく。

天才性(ジーニアス)はある個人のなかにあるわけではない。創造性は、ジーニアスという精霊のようなものと人との共同作業なのだ。


そんな内容だった。

きっとどんな作品でも、人の心を動かすものには、そんな要素があるのだろうってわたしも思う。

とくに、夢中になってしまい、いつまでも胸を離れない壮大なファンタジー作品には、個人の想像力をこえたなんらかの、大きな意識体とつながったものがあるだろうって、感じてしまう。

(もちろん、その大きな意識体とつながり、イメージとして捉えて、たくさんの人が夢中になるように表現する力は、そのひと個人の才能といえると思う。)


そういうファンタジーは、目に見えないものも含めたこの世のなりたちの、たぶん真実にちかい何かを、捉えているんじゃないかな。

その通りのこと、というより、そういう何かのエネルギーや仕組みを、その人なりの象徴やキャラクターをつかって描きだしている、という意味で。


いまさっき『ライラの冒険』シリーズを読み終わったばかり。
どうしても、そんな想いが湧きあがる。

とてもおもしろくて、感動して、余韻が止まらない。

これからもずっと、わたしの胸の奥に、その世界が生きつづけるだろう、って感じる。






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