星の使者

今日、わたしが行った場所♪


2、3日前に、国立天文台のキャンパスが開放されていて、見学できるという記事を目にして、気になってて、


今日はいい天気で出かけたくなり、ちょうどいいや、と行ってみた。



テクテクと構内を歩きながら、静かに胸がざわめいてる。


感じてるのは、親近感・・・?とはじめ思ったけど、ちょっとちがう。

そうだ、シンパシーだ。


シンパシー:共鳴、してる。



ここは、太陽の黒点を観測する第一赤道儀室。

1938年から61年間、太陽黒点のスケッチ観測をしてデータを世に送りだしていた。


いまは、最新の自動式の機械に現役をゆずり、見学用に保管されている。




今日の黒点は2個だったよ。すくないね。

いまは太陽の活動が活発でないそう。




緑でいっぱいの気持ちいい道を歩きながら、いろーんなことが頭に浮かぶ。


こんな専門機関には、そこに関わった人たちの集合意識が濃ゆく存在してるはず。


わたしはそれに触れに来たんだなぁと思った。

神社に参拝するみたいに。



きっと、何らかの意志をもって、ある集合意識に触れると、コードのようなものが接続される。


思いあたるのは、一昨日の自分がツィートした言葉。


“ わたしの月♡のサビアンが”バロメーター”という大気圧なんかをはかる測定器ということで、自分がなぜか毎日の星のうごきを読みたがる生き物だということを納得して受けいれました(←いや実は楽しいの 笑) ”

https://twitter.com/chierik/status/865681692828123136


天文学者の集合意識に接続されたかな〜(^.^)♪




点と点がつながって、ひとつの物語が織りなされる。

これは単なる空想かもしれないし、不思議な意味のあるインスピレーションかもしれない。


どちらでも構わなくて、それを信じるか信じないかはわたしの自由だ。

信じたことが自分の現実になるのだから。


そして、わたしはこの物語を信じる。

楽しくてワクワクするような冒険のように感じるし、わたしの体にもしっくりと落ちてきたから。


きっとこれは、わたしがこの世で楽しむエピソードの一つ。




そういえば、子供のころから、わたしは住みたい家を設計する空想が好きだった。


よく描いていた家には、六角形の塔のような細ながい部屋があった。

まわりはぐるりと窓になってる。


まだ占星術も天文学も知らないときだったけど、あれはもしかしたら天文台なんじゃないかな〜、なんてね。




こんなことを考えていた時間は、空の月がキロンに触れているタイミングだった。(今日の星のうごきはこちら⭐http://chie-astrology.com/20175-21


キロンは、痛みを乗りこえて身につけた賢さや癒しの力を人のために役立てる、という意味をもつ。


そして、空のドラゴンヘッド(未来へつなぐ縁)は、いまちょうどわたしのアセンダント(わたし自身を意味する)に重なっている。



心残り、のような、かなしさ、のようなものを含んだ想いを、未来への希望へとつなぐ、何か。

たしかに、それがいまわたしが胸に抱く物語の中にはある。



関連記事:森の中で宇宙とあそぶ〜星と森と絵本の家・国立天文台(http://chie-astrology.com/20170525-2


『This Kiss』 

 

最近よく聴くのは、Faith Hill(フェイス・ヒル)

 

すこしまえに、フェイス・ヒルの『This Kiss』がラジオから流れてきて、ふと胸がしめつけられるような、悲しい気持ちになった。

ぜんぜん悲しい曲じゃないのに。

 

この曲がそんな気持ちを引き起こす何かの記憶とつながっている、というわけでもない。

 

(もしかしたら、どこかで耳にしていて、その時の記憶が無意識にしまわれていた、ってことはあるかもしれないけど。意識的にちゃんと聴いたのははじめて。)

 

 

その時には、誰が歌っているのかも、曲のタイトルも聞きのがしてしまって、だけど、気になってしょうがなく、頭に残ったくりかえしのフレーズから検索して探しだした。

 

 

それから、楽しみ方についていろいろと感じるところがあって、

変わってきたこともあって、

いまこの曲を聴いていても、ただポップで楽しい気分になるだけ。

 

ふりかえって、謎解きの答えあわせ、のようなことをしてみて気づいた。

 

 

 

はじめてこの曲を聴いて感じた悲しい気持ちは、そのしばらくあとのフォーカシングでみつけたサルの気持ちだったんだ、ってこと。

 

サル(のイメージが象徴するわたしの一部分)は、わたしに気づいて欲しかった。

 

もっと楽しいこと、うつくしいもの、存分に味わいたい、と。

ただ遊ぶのを楽しみたい、と。

もっと心地よく、ゆったりと過ごす時間が欲しい、と。

 

気づいてもらえない間、暗〜い陰に押しやられて、グレーになってしまって(本当は金色なのに!笑 )悲しんでいた。

 

 

 

そしてホロスコープを手がかりにして、気づいたこと。

この歌をうたうフェイス・ヒルのホロスコープを、わたしのホロスコープに重ねて読むと、

 

彼女の金星(楽しさ)と海王星(魅力的でウットリさせる)が、わたしの人生をあらわす軸にのっかっていて、ウットリするような楽しさを、わたしの中にストレートに注ぎこんでくる。

 

フェイス・ヒルの金星力が、わたしの金星(喜びや楽しみをつかさどる)を目覚めさせたんだ。

 

 

ほかにも響きあう要素はけっこうあった。

 

印象的に出会う人との縁(実際にじゃなくてもその人の存在との何らかのつながり)は、いまのわたしに必要なものを教えてくれているんだよね。

 

 

 

 

 

 

あたらしい習慣


あたらしい習慣をとりいれ中。
まだ2日目なので、身につくかはこれからかな。

それは、スマホをみる時間を決めて、その間だけ通信する。
それ以外のときはWi-Fiなど切っておく。
これまでは、気がつけば絶えずスマホをいじっていた。

この習慣をはじめてからは、見ると決めたとき以外は手にしたくならない。
そして、そのときしている動作への集中度が増している感じがする。

今のところ私には合っていて、スッキリした気分。


ミル挽き珈琲


コーヒーミルを買った。


とうとう♪

買ったのは1週間くらい前だけど、今日、はじめて使った。

焙煎したての珈琲豆を挽くときから、すごーくいい匂いで幸せ♪


ドリップコーヒーの香りはアロマテラピーみたい。

これがほしくてコーヒーを淹れているようなものだなぁ、と最近気づいた。

だから、せっかくなら、すでに粉にしてあるものよりも、挽きたての豆で淹れたいわ♪ と思ったら、どうしてもミルが欲しくなり。


あれこれミルをみて探すのも楽しかったし、ほどよい大きさ、シンプルさ、質感、とってもお気に入り。

そんなこともふくめて、

ゴリゴリ豆を挽く音、
香ばしい匂い、
そしてお湯をそそぐときにぶわんと広がるアロマ、
手をつかうこと、
ゆったり時間を過ごすこと、



このミルは、コーヒーをさらに美味しく飲む道具。

そして、ただそれだけじゃなくて、今のわたしの心地よさ、楽しみ方、そのものを象徴してる、って思う。

どうしてカラスなのかな


フォーカシングで見つけた、わたしのダイモン。

左の肩にはカラスがいる

タカやワシのイメージもあるから、わたしのマヤ暦のキン、『青い鷲』のことを思いだした。

だけど、鷲ではなく、どうしてもカラス寄り。
鷲っぽいところはあるにせよ。

なんでかなぁ。。




たぶんカラスは、人間の暮らすところにいるから。

空の高みから見ているのではなく、人の生活に触れてる感覚がカラスなんだ、きっと。


ゴミをあさるのは困ったもんだけど。。


毎日、ご飯をくれた女の子に、ボタンとか光るものをいくつも、プレゼントしにきたカラスのエピソードが好き。

左の肩にはカラスがいる


おとといのフォーカシングで、わたしの中の金色のおサルさんを見つけた。

フォーカシングのセッションが終わっても、カラダの内がわでは、いったん動きだした感覚がまだ動きつづけている。

帰り道、電車の中で、ボンヤリとその動きを感じていた。

ニューフェイスのおサルさんの定位置は右の肩みたい。

そして、左の肩には、カラスのような鳥がいるのに気づく。

とはいっても、この鳥の存在は、前から知っていた。

「何となく、わたしのダイモンはカラスのような気がするわ」、とか、ファンタジー好きの友だちと話していたりして。

ダイモンというのは、『ライラの冒険』にでてくる生き物。
その世界では、人はみな自分の分身のような動物をもっている。(ダイモン


左の肩の鳥は、カラスにそっくりだけど、そのものではなく、青味がかった黒い色をしている。
タカとかワシの雰囲気もあるかな。

まわりで起こる出来事にはあんまり興味がなくて、ある目的(たぶん使命や役目と言いあらわせるくらいの)にかかわることだけに反応する。

その心は深い濃紺の空、漆黒の宇宙に向いていて、何か(サインのようなもの?)があったら、まっすぐに、素早く、鋭く、星のあいだに飛びこんでいく。

青みの黒い鳥には、金色のサルよりもなじみがあり、わたしはこの鳥が星の間に飛びこむとき、運命を共にするんだ、と思う。

このイメージは、重々しく、深く、遠い何かとつながっている。



いっぽう、右の肩に気持ちをうつすと、晴れた日の陽射しのような顔をしたサルがいて、ウキウキとまわりのモノをいじっている。

そして、鳥の方の肩の上に手をのばして(そちら側はロイヤルブルーの星空)、星をまるでクッキーのようにつまみとり、パクリと食べたりする。
幸せそうに。



こんな感じで家にもどると、わたしの内がわで、「すぐに眠った方がいい」、とささやく何かがあった。

疲れて眠たいのも確かにあったし、エネルギーや意識が変わる時、“ 眠り” が、促進や仕上げみたいに働くのも知っている。


そして、眠った。

起きた次の日から、いつもの肩の凝りが軽〜くなっている。

わたしの内がわの何かがゆるんだんだろうな。

青みの黒い鳥のことに集中していた時には、緊張感や目的意識が主だったんだろうなって気がする。

そこが一段落したから、サルが遊ぶよゆうが生まれたんだろうな。


2日たって、つらつらとそんなことも分かってきた。


わたしのなかのおサルさん


今日は、フォーカシングの勉強会。


(フォーカシングとはこんな感じのものです
言葉とカラダ

わたしの中の

わたしはけっこう久しぶりの参加、3ヶ月ぶりくらいかな。

フォーカシングをすると、自分のなかの思わぬ何かを見つけたりする。

これはほんとにおもしろくてドラマチック。

今日は、わたしは、自分のなかの、サルを見つけた。

金色で、楽しげで、遊び好き。
けっこう賢そう。

興味をもったこと、器用な手先で試して遊ぶのが好きみたい。

このサルがあらわれる前、わたしは自分の胸のモヤモヤをあつかっていた。

モヤモヤだけに、重い感情があらわれるのかと思いきや、サルに気づく前にあらわれたのは、キラキラと輝く真っ白なスクリーンだった。

そして、胸のおくに踊る、期待感。


サルになる以前のその何か、は、輝くスクリーンの光がとどかない、斜めの陰のなかにいて、ぼんやりとグレーで、泣きたい気持ちを感じさせた。

わたしはフォーカシングでそのグレーの何かによりそおうとするけれど、近づかせてもらえない。

でも、「そうか、そこにいるの分かってるからね、また来るね。」と話しかけてから、立ち去ろうとすると、それはふっとわたしの懐にやってきて、赤ちゃんのようにつかまった。

しばらく抱いてるイメージがあって、気がつくと、金色の楽しげなサルに変わっていた。


これが、わたしの一部だって分かる。

こういう面を、これまでは斜めの陰においてて素直にだしていなかったんだろうね。

このサルがいま、わたしの肩にのっている。(イメージでね)
これからどんなふうになるのかな。
と楽しみ。

わたしの根っこ

今夜、19時30分に、太陽がおひつじ座にはいって、春分。
あたらしい1年がはじまる。


昨日は、家族みんなが集まった。
たぶん、10数年以上ぶり。



わたしにとってこの1年間は、体質改善もふくめて、ムリをしていたことを手放して、心地よいもので生活を満たしていく、時期だった。

とくに、冬至からの3ヶ月は、強烈にまた症状がでたり、かなり徹底的なデトックスだったなぁと思う。



家族みんなで集まることが決まる前から、わたしの家族に対する感じ方がかわってきてた。

わたしは、この家族という根っこから伸びた茎のひとつなんだなー、って素直に思えるようになった。

ガマンをやめて、のびのびするようにしたら、だんだんそうなってたんだな。
からまっていた重たい感情を、解くために必要なツールとも出会った。


これまでは、というと、サポートしてもらってることは頭では分かりつつ、どこか寂しさや、離れた感じがあったと思う。



集まって、あいかわらずだなーのみんな。

懐かしさと安心感がすぐにわたしを包む。

そして、息苦しく、モヤモヤしていた気分も思いだす。
それぞれの個性がぶつかって軋(きし)み、モヤモヤを生む時もあるから。


だけど、わたしはもう、自分の心を守ることができる。


今のわたしは、心地よいものを選びとると決めている。


昨日の夜も、兄弟や両親と話しながら、ある場面では、心地よくない自分を見つけた。

ゆれる心に寄りそいながら、その当時の自分の感情を味わった。
理解したこともあった。

家族の圧迫感に飲みこまれず、ほどよい距離感でいられる、自立した今に感謝もした。


過去から浮かびあがった息苦しい靄(もや)が晴れたいま、わたしはさらにスッキリと自分自身になれたみたい。


あと数時間で春分で、あたらしい流れがはじまるところ。

心地よく自分で在ろうと決めたわたしの意図。

心と体にセットされた潜在的な時の流れが、その意図にそったものとして現実になり。

その過程は、頭ではコントロールできない。
頭では、もっと早くとか、焦るけど、心と体は分かっている。

そして、その時刻表は天空の星のうごきにもあらわれている。

なんて神秘的で、調和した、自然の力だろう。。




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家族での食事会のまえに寄って、ゆっくり過ごした絵本館(いたばしボローニャ子ども絵本館)で、惹かれた絵本の表紙。


マダム・バタフライ

変容の蝶々、だね〜(^^)


絵本館のてまえに、綺麗な神社があったので、お参り♪

小さいけれど、賑わってた。
過去をクリアにするのに向いた場所だったみたい。

ありがたや☆


食事が終わって、気持ちよい風がふく、川ぞいのステキな遊歩道を歩いて帰る夜。

みんなで集まったのが楽しくて、うれしかった甥が、
「僕、この家に産まれてよかった。」と言う。

そうだね、わたしもいま、そう思ってるよ、言葉にしてくれて、ありがとう。


中原中也を読む、甥っ子、14才☆

本質で生きることと、幸せを感じる心は、イコールではない


サマセット・モームのことを調べてる。


世界的な作家としての名声や地位、

晩年にもティーンエイジャーからファンレターが届くほどの廃れない人気、

莫大な富


献身的につくす、伴侶であり秘書の存在、


ぜいたくで快適な環境、


を手にしているにもかかわらず、晩年、狂気ともいえる皮肉さで自分の人生の虚無感を嘆いた。


暗く、何かに取り憑かれたような顔をして。



幸せを感じる心は閉じたままだった。


10歳で孤児となったこと、

どもりでいじめられたこと、

優秀な兄へのコンプレックス、


生前、財産を使い果たし、死後、子供たちを貧乏な生活へと突き落とした父親への不満、


セクシャルマジョリティーであったこと、その時代には今よりも隠さなければ糾弾された。

などなど。

ネガティヴにするものはいろいろとあった。


彼の成功を導いた動機は、なにかを見返したい、という復讐心だったのか、とさえ思う。


もともとそこからはじまることは、誰にでもあるとしても、途中で解放されたり、変容したり、するチャンスもつかまえられなかったのだろうか。


というようなことを考えさせられる。


そして、気づいたのは、


まず、動機はネガティヴでも、本質をいかして生きれば豊かさは手に入る、ということ。



作家としてのモームは、その観察力、表現力を存分にいかして活躍した。



次に、幸せを感じる心は、本質をいかして生きる、こととは別なんだ、ってこと。



これは、“ お金や名声があると、精神的に貧しい ” というような形式的な考え方のことではなくて。



お金と名声をもちながら、心豊かに生きる人もいれば、そうでない人もいる。


お金と名声がなくても、心豊かに生きる人もいれば、そうでない人もいる、から、決めつけることはない、から。



動機がネガティヴでも、自分のもつ質をいかして生きれば、豊かさは手にはいる。


動機がネガティヴのままだと、せっかくの豊かさも幸せと感じられない。


病気や困難など、軌道修正が必要だというなんらかのサインがあらわれて、挫折と感じることもあるだろうな。



幸せを感じることを阻む思いこみがなければ、さまざまなことから幸せを見つけることができる。


その状態だと、自然に本質でいきる道を選びやすいから、豊かさも手に入れる。


ただ、本質で生きる道を選ばず、自分本来の生命力を発揮しなかったら、物質的な豊かさを手に入れにくいのかもしれない。





できないことは、しなくていいから

できないことはしなくていいから、

と、ときおり心の中で自分に言い聞かせるの。

ときと場合によっては、なんともふさわしくない気がするけどね、たとえば、新しいことを覚えようとしてるときとか。



なにごとかに、とりかかろうとしてる私。

でも、でも、あんな風にできない、
ここんとこ、自信ない、

もう少し、調べた方がいいかもしれないぃ〜。。

と気弱なつぶやきが胸に浮かんでくるときにつかう。


「できないことはしなくていいから、」

「いまできることをひとまずやってみなって(^.^)」って。


けっこう気がらくになる。

はじめて思いついて自分に言い聞かせたときには、すごい名言や!って思った 笑。

ひとまず手をつけてしまえば、あとはスルスルーっと進むときもあるしね。

進まなくても、すこしできただけでも、ぜんぜん手をつけていないより、ずーっと落ちつく。





HP 星の相談室 チエ・タハティ

惑星ノート カレンダー