渋谷のよる

このまえ行った渋谷でのライブが、すっごく楽しくて刺激的だった。


音楽自体も、

音楽をはじめた頃から一緒にライブをしていたという、3バンドの関係も、熱いというかみずみずしいというか、青春というか、そういうムードがある気がして、過ごしてきた年月の重なりや切磋琢磨感が、素敵で、


でも3組ともすでにプロフェッショナルで、洗練されてて、それぞれが独自の音楽をしてて、クールでかっこよかった。


最後に3バンドで組んで、ライブをしたのは6年前だそう。




1番目は、表現

オルタナティブ。聴いているとわたしは、呼吸がぐんとラクになって、自然に深呼吸してた。とても好きな感じ。

お茶とのコラボなど、面白そうな活動されてます。興味ある♪

http://sound.jp/hyogen/


 



2番目は、FALSETTOS

とにかくパワフルでカッコいい!

ガールズバンドらしく可愛くオシャレだけど、そのパワーは女性そのものの生命力かなぁと思った。甘くない。

オープニングはパワーにひたすら圧倒されたけど、歌もMCも、独特の魅力に引き込まれてすっかりファンになった。


今日アルバムリリース!買う♪

http://tower.jp/article/feature_item/2017/12/07/0701 


 



3番目は、cero

スタイリッシュで完成された感じ。

安心して聴ける。

都会的、というのかな?大人なムード。とてもよかった。


1月に、アルバムリリース

安定感も納得。プロとしてどんどん活動広がってる感じ。

http://cero-web.jp/





音楽も、人のつながりも、ぜんぶなんかすごかった。
ライブやっぱりいいなぁと思った。
また行きたい!



そのときの雰囲気、パワー、みずみずしさ、あぁ、そういう感じだったのかもな、 と思った言葉。


ファルセッツのメンバーのツィートより


心の池に飛びこむカエル


せんじつ、なんとなくつけていたラジオで、松尾芭蕉の生涯を、物語ふうに聴いた。


芭蕉は、ただの言葉遊びだった俳句を、芸術に高めた人だという。



藩の誰もが認めるほど、文芸の才にたけた芭蕉は、俳句の魅力にとりつかれ、


そのころ、ただの言葉遊びとして、おもしろおかしく場を盛り上げるためにつかわれているのをみて、そうじゃないんだ!とつよい違和感をかんじていた。


「ちがう。俳句はそれだけのものじゃない。もっと深く感性に触れる何かを、表現できるはずだ」、と。



芭蕉がその信念を表現し、認められるきっかけになったのは、この句だ。



  古池や蛙とびこむ水の音




この句がなぜすごいのか。


芭蕉は、蛙が水に飛びこむ音を耳にして、「蛙とびこむ水の音」と下の句を先につくる。


そうして、目を閉じて考え、「古池や」と上の句をつけた。



芭蕉は、水の音を聞いただけで、蛙が飛びこむところを、実際に目でみたわけではない。


目を閉じたとき、芭蕉が見たのは、自分自身の心の風景だった。



こうして、俳句は、目に見えない感性を映しだす芸術として、表現されるようになる。



*********



わたしは、昔から俳句が好き。


言葉じたいが好きなので、五 七 五 という短さで、ある風景が浮かんでくるのが素敵だし、研ぎ澄まされた言葉への感性があるように感じて、かっこいいと思っていた。


だから、このストーリーも興味深く聴いてた。



そして、はじめて俳句の魅力が、バチっと分かった気がした。これまでの、なんか良いよね、くらいの受けとめかたとは、雲泥の差だと思う。



芭蕉の心象風景が描かれていると知り、あらためてその句を思い浮かべたとき、わたしの心の奥でも、パシャんと水の音がした。


小さなカエルが、わたしがすっかり忘れていた、思い出の池のなかに、つつーーっと潜っていく。

心のなかでさざ波が、かすかに揺れる。



そして、わたしはその夜、すこし切ない夢をみた。

起きたあともしばらく、ぼんやりともやのような悲しみが残っているような。


それをただ感じて、ゆっくりと起きだし、いつものように過ごしているうちに、そのもやは晴れ、清々しい気分になった。


カエルは岩の上で、あたたかい陽射しを浴びている。






生き生きと奔放に、堅実に


お正月にみた映画『イタリアが呼んでいる』のなかで効果的に使われていた、アラニス・モリセット。

昔好きでよく聴いていたので、思い出して懐かしかった。
最近またよく聴いている。

映画ストーリーは、マニアックな単館系で、とくにドラマティックな出来事はおこらない。

コメディアンとして活躍ちゅうの男性2人がとにかくよくしゃべる。よく分からないネタが多かったけれど、なんとなく可笑しかった。

なにより、景色がさいこう!
イタリアの田園風景、

太陽の光が燦々とふりそそぐ海。。


料理もとっても美味しそうで(ドライブしながらグルメ取材をしている)それだけでも満足した。

リゾート気分を楽しみながらも、仕事や家族のこと、それぞれ人生の曲がり角にさしかかっている雰囲気も時々あらわれる。
ひょうひょうとしながら、精一杯向きあって、いまできることを探す。

そんなところにも共感した。

ちょっと苦さも味わいつつ、リアルに生きてる感じに、アラニスの歌はよく合ってた。


わたしは、何か苦い出来ごとがあったわけじゃないけど、内がわと深く真摯に向きあうタイミング。(わたしの冥王星に空の土星が90度)
うん、やっぱりアラニスの歌はよく合うなー。

土星が山羊座に入って、社会性や堅実さが意識されるなか。

生き生きとした個人の生命力の輝きや奔放さが、社会的な責任感と同じくらい(あるいはそれより多いくらい)の濃度で、存在を主張してこそ、山羊座的社会は成り立つんだ、と感じているところ。
人それぞれが生き生きとできない社会は力がないもんね。


リラックスしてよく笑いよく遊ぼう。

そしてほんとに望むことを堅実に。

それが今年の抱負かな。

 

 

 

 

 

 

光(智慧)をはこぶもの

ついこのまえ、ルシファーという小惑星の意味をしった。


ルシファーは堕天使だ。

罪を犯して翼を失い、贖いのために地上におりた。


地球がほんらいの輝きをとりもどすまで、その務めはつづくとか。


その語源は、ルーチェ(luce)。

“ 光 ” を意味する。


ルシファー(Lucifer)は、光を運ぶもの、という意味をもつ。


闇に落ちたのにおもしろいよね。

単純に “ 罪を犯して ”という話ではないのかもしれない。

(象徴としてシンプルになってるけど、もっと想像力を働かせる余地はあるような。)


ルシファーの象徴するものが魅惑的なうえ、このまえに、雲間からさす天使の梯子をながめて、翼を失うイメージが湧いていたから、なおさら心惹かれた。


 

 

 

わたしのホロスコープでは、ルシファーはノード軸とスクエア。今世で果たす主要なテーマのひとつ。


それで、最近ちょっと遊んでいる易のサイト(https://tankyuu.net/eki/)で「わたしにとってルシファーの意味するものは?」と引いてみたら、こうでたよ




ホロスコープで読んだ意味を裏うちする。

そして表現がしっくりきた。



これは、わたし自身にというより、占星術やフォーカシング仲間、分野はちがっても、人がイキイキと生きるための知恵を伝える人たち、みんなにあてはまると思った。

仕事でなくても、人生の知恵をさりげなく教えてくれるまわりの人たちも。



本質を学び、知る、ことで、とらわれているものから解放され、癒されることは多い。

(知識で決めつけるというのは、逆にとらわれるから、本質的で、その人の内面に光をあてる知恵とは、またちがうね。)



自分にもどると。

わたしは、そういう人たちと、そういう活動にたずさわって生きたいし、そう生まれついたんだなぁとあらためてすんなり分かった。

つけてもらった名前もそうだしね。

もうシンプルにそれでいいんだなと、しっかり落としこめたら、内がわの何かがまた軽く、生きるのがラクになった気がする。

 



*****


ルシファーはこちらの進化占星術の講座で学びました。とてもおもしろくホロスコープ理解が深まりました。

リクエストで開催可能だそうですよ!

 ↓

eu-balance/ホリスティックセラピー

http://blog.goo.ne.jp/eu-balance/e/97778d89cd74544ca67638fbf4d4c905

 


*****



最近よく聴いてるガブリエル・アプリン

なんだかわたしの中のルシファーのイメージにしっくりくる歌

 

ますます、、ときたら

おひさしぶりにお会いして、


「ますます…」

と言われたら、

そのあとは


「…うつくしくなられましたね。」


という言葉あたりを期待する、

のではないかと(勝手に)思いますが、


わたしの場合、


「ますます、、、







パワーアップしたね(^^)」



と言っていただくことがほとんどで、うれしいような気も?するこの頃です。




昨日、お茶会に参加してくださったMちゃんが、おもしろいことを言ってくれた。



講座の時のわたしは、普段のモードとかわり、はじまる時にガシッと腕まくりして(実際にはしておりません!)「よっしゃーやったるぞ」というような雰囲気がでているのだそう 笑


そして、講座を通して、なんだかひとつの舞台を観ていたような印象がある、とか。


昨日はさらにそれがはっきりしてたよ、と。


彼女は、直感的にものごとをとらえて、ユニークな表現をするのがとても上手で、わたしはおしゃべりが楽しくてしょうがない。


ほかにも、そうかなるほど、うまいこと言ってくれるわ♪(^O^)、という表現がいくつかあった。


そんな彼女からの言葉、わたしのスタイルのひとつの指針になるなーとありがたくいただきました。




ホロスコープから考察すると、アセンダント獅子座(ドラマチックな表現)、アセンダントにトラインの5ハウス木星(パフォーマンス・舞台・熱血)、そして、スクエアの海王星(演劇)の効果かな。



び濁音と東京紅茶

さいきんよく聴くのは、三浦祐太朗さんが歌う『さよならの向こう側』

もとは山口百恵さんが歌っていた。

 

わたしはリアルな百恵ちゃんの活躍は知らないけれど、ときどき耳にする彼女の歌はけっこう好きだった。

 

このまえ、ラジオで百恵ちゃんの長男の祐太朗さんが歌うのを聴いて、いいなぁと思った。

おだやかに、すーっと心に染みる感じ。

 

百恵さんの曲をカバーするにあたっての、祐太朗さんのインタビューをチラチラと読んでみた。

 

百恵さんは、ふだん家族の芸能活動に、アドバイスや感想など、なにも言わないのだそう。

(ふつうの番組などの感想はけっこうハッキリしてる、と夫の三浦友和さん談。家族のことはとやかく言わないようにされているんだろうなーと私は思った。そんなタイプにみえる笑、だから夫婦仲も良いのかも)

 

めずらしくひと言だけ祐太朗さんにアドバイスしたのは、

”鼻濁音(びだくおん)を意識するとよい”、だったとか。

 

それで鼻濁音が気になり、調べてみた。

 

「鼻濁音」とは、「が、ぎ、ぐ、げ、ご」のガ行の音を

「んが、んぎ、んぐ、んげ、んご」といった感じで、
鼻から向けるように発音する音のことです。

 

発音にかかわる仕事の方のサイトを読むと、鼻濁音は日本語をうつくしく感じよく響かせる発音法なので、だんだん失われているのがザンネンと書いてあった。

 

ほかの調査の記録など読むと、東北地方には多くて、西日本には少ないとのこと。

 

わたしは西日本出身なのだけど、この響きはしっくりやさしくなじむ気がする。

 

百恵さんや祐太朗さんの歌い方がいいなぁと感じるのは、この びだくおん の効果も大きいかもなーと思った。

ま〜ただそれだけなんだけど、書いておきたくなった(^.^)

 

 

そうそう、東京紅茶というのは、いまはまっている紅茶。

わたしの住んでいる多摩地域で生産されている。

地産地消の食べ物っていきいきしたエネルギーをもらえる感じがしてうれしいし、これはなによりもとっても美味しい♪

 

この味も、おだやかでやさしい。

なんとなく びだくおん につうじるな〜、と、そして ひらがな もそうだな〜、といまふとおもう。

 

(そういえば、うちは三人姉妹がいるけれど、父はみんなの名前を ひらがな でつけた。

誰にでも読みやすいのがいいのと、やわらかい感じがするのが好きだから、と聞いた気がする。

読みやすいのは確かによかったな〜。やわらかい感じ、どうだろう、そうなってたらいいけど。)

 

 

 

三浦祐太朗さん

 

百恵ちゃん

 

 

 

 

 

明けがたの思い出


今朝、夜明け前に目が覚めて、実家で飼っていた猫のピーちゃんのことを思い出した。


連れ去られていなくなり、家族で、探しまわっていた時のことを。



姉と一緒に張り紙をつくって、近所中に貼ってまわり、時間があいたら、あちこちの公園など探しに行った。


その時の、悲しさ。

ひどい目にあってるんじゃないか、四六時中気がかりで、胸が苦しかった。


その気持ちを、また味わっていた。



可愛くてとっかえひっかえ首輪をつけて、本人も鈴を鳴らすのを気にいっていたのだけど、首輪だけが歩道の横の植えこみの上に置いてあったのを見て、首輪をつかまれて捕まってしまったのではないか、と胸が苦しくなった。


2ヶ月もいなかっただろうか。あきらめられるわけはなく、ただ悲しさと気がかり、そして守ってあげられなかった後悔、が慢性化していたころ、ピーちゃんは自力で帰ってきた。


ひどく痩せて、尻尾は折れ、毛ははげてタバコを押しつけられたような火傷のような傷があちこちにあった。

目は泣きはらしたように腫れ、声はガラガラで、ほとんど出なくなっていて。


そんなピーちゃんは、明け方、両親の寝室の窓辺にあらわれたのだった。よく帰ってきたね、と抱いてみんなで泣いた。


ピーちゃんは、それからおよそ17年間一緒に暮らし、いなくなった。

年をとり、もう家から出ることもなくなっていた。死に場所を探して出ていったんだろう。そんな予感を抱きつつ、両親はずいぶんと探したらしい。

『ぴーちゃん』

 http://chie909.jugem.jp/?eid=705



連れ去り事件が終わったあと、しばらくたって声も目も毛並みもすっかりきれいになった。尻尾の折れた形はそのまま残ったけれど。

元気に、ひょうきんに、猫らしく。

イキイキとした時間をくれた。

もう、あの苦しい時間を思い出すこともほとんどなく。(もう首輪をつけることはなかった。わたしたちが。本人はどう感じてたかは分からない。)

『うちの猫』

http://chie909.jugem.jp/?eid=157 



どうして、今思い出したのかなぁ。


つい最近、両親との関係、とくに父との関係をみつめなおしていたからかもしれない。父とピーちゃんはすごく仲がよかったから。

『ひさしぶりに』

http://chie909.jugem.jp/?eid=370



ある時味わったとてもつよい感情は、きっと生きてるかぎり、すっかりなくなってしまうことはないのだろう。


もう意識をすることはなくても、細胞のなかに溶けこんで、人をやさしくさせたり、ときには怖れや悲しみをにじませたり、する。


その感情を知ること。

居場所を作ってあげること。


問いただすことなく、ただとなりに寄りそい、感じてたことを受けとめる。


そうすると、ただむやみにふりまわされるのではなく、穏やかに共存することができるんだ、と思った。

受けとめ居場所をもつことで、癒されることもあるし、すぐに癒されなくても、はじめとは少しずつ姿をかえていく。


たとえば、それが怖れや悲しみだとしても、そのために望みを放棄することなく、共存しながら、一歩一歩、あたらしいアプローチで、未来へと踏みだすこともできると思う。



*****


夢から覚めた時につよい感情を味わったときの対処法。

昨日ツィッターでシェアされていて、いいなと思ってたので試してみた。

よかったですよ。


わたしがいつもしているフォーカシングと似ている。このワークのしくみは、ほんらい人に備わっている力なんだと思う。


覚書もかねて、ここにもリンクしますね。


『ほんとうの名前を口にする』

http://premamft.exblog.jp/amp/28157876/ 





『love』

 

最近のお気にいりの曲。

 

 

うっすらと泣きながら微笑んでいるような声とメロディー

 

やわらかくて深みがあって。

 

そしてまたこのビデオクリップがすごくいい♪

 

 

 

 

水星が逆行になるうごきとあわせるように、わたしのなかでもなにかがグルグルと向きをかえた。

 

ぐわーと波にのまれた。

気持ちも現実もごたついて。

 

表向きにはふつうに生活してる(たぶん 笑)けど、深いところではちがうところを漂っている感じだった。

 

いま浮上してきた感じ。

そして水のなかから顔をだしたら、くるりと何かが変わってる。

変わった、ような、さらに軽くなったような。

 

 

もうすぐ皆既日蝕もあるし、8月の魔法はまだつづく。

 

 

 

『These words』

2才の姪っ子は、元気がよくて『となりのトトロ』のメイちゃんを思わせる。

思いきり、笑って、泣いて。

 

クマノミの水着をきて(#^.^#) 海で遊んでいるところ

 

 

 

 

まだうまく伝えられない言葉もあるけれど、今やりたいことを思いっきり主張して。


気持ちをすっごく素直にあらわす。

(腹式呼吸でお腹の底から声をだすのがすごいおかしくて可愛い 笑)

 

そんな彼女と遊んで、わたしの胸のなかでいま流れているのはこの歌

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カタツムリのアップリケのTシャツ(ハンナハンナ)をプレゼントしたときのエピソード

 

 

夢の子猫があらわれた


おとといの夜、夢に猫がでてきた。


細かいシチュエーションは憶えてないけど、ある家の中に、わたしは妹か女ともだちと一緒にいて、出口を探してる。


ウロウロしながら入った、となりの部屋で猫が寝ていた。


猫がぱっかーんと体を開いていて、そのリラックスした姿がおかしくてクスクス笑う。


わたしたちがなぜ出口を探しているかというと、つぎの家に引っ越すため、みたい。


なかなか出口が見つからない。。。


けれどあせってるわけでもない。

そんな夢。



そして、昨日の、現実の夜、子猫たちが遊んでいるのを見かけた。

暗がりからジッとわたしを見ていた。

警戒されてる!

ちっちゃくて可愛い♪

なんにもしないよ。




とそこで、前日の猫の夢を思いだす。


つぎのステージ(新しい家)にいこうとしてる気持ちと、まだなじんだ場所でリラックスして遊んでいたい気持ちと。

そんな時なんだろな、と思った。


あっ、子猫じゃなくてわたしがね。