余白のシーン


ずっと、強弱はありつつ、家族のことで、覚悟や本心をためされているような時期ではあるのだけれど。


そのとき、そのときで、目の前の出来事と自分のできることと、心が揺れながらも、向き合っていくしかないなぁと思う。


家族ってやっぱり根っこで深く関わるから、感情もゆさぶられやすいしね。


自分の中にわきおこるいろんな感情も、ほかの人のものも、「そう感じているんだよねぇ」とたんたんと受けとめられるといいけど。


なかなかに。

揺れる気持ちもそれ自体が揺れるままに受けとめてもらいたがっているわけだから、しばらくは揺れていてもいいのかもしれない。

揺れるわたしの心の隣によりそう気分でみていよう。




そんな気持ちでいると、つい最近観た映画、小津安二郎さんの『東京物語』の空っぽの部屋のシーンがよみがえる。


人々が立ち去ったあとの、空っぽの部屋をしばらく映しているシーン。


占星術の研究会の仲間が、それを“余白“とよんで気になったと言っていた。

彼女は、言葉にならない繊細な感覚をとらえるのがうまい人だと思う。


人が立ち去った後の部屋には、残された感情の残像みたいなものがあるのかもしれない。


そこには登場人物の気持ちに重なるように、自分自身の気持ちも映しだされているんだろう。


余白のシーンは、それをじっくりと見つめる時間をつくりだす。

そういう“間”も、オズ映画の味わいなんだろうね。




世界ベストワンの評価と、『東京物語』を観たわたしの感覚とはまだすっかり一致はしていなくて、その間を埋めるほどにもっと深く理解してみたいと思ってしまう^ ^



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