永遠の今

この前の、オンラインフォーカシング研究会で、「今、この身体を感じること。それは永遠につながる」というような話になった。


フォーカシングでは、いま身体がどう感じているか、を丁寧に感じて、言葉にしていくことで、いま必要なことが分かっていく。


いま感じていることを丁寧に、というのがとっても大事。


たとえば、よくある症状だから、といつも同じ表現であらわしてしまうことってあると思う。


例えば、緊張した時に、「喉がつまる」とか。


この前は、喉がつまる、感じだったとしても、同じような症状だと頭で判断して、同じ言葉をくりかえす、のでは、“今”の身体を感じているわけじゃない。


今の身体はどんなふうだろう。。。内側に意識を向けて、心をひらき、頭での判断なしでただ感じて、それを丁寧に言葉にしてみる。


今の喉の感じは、実は、「つまる」はピッタリではなくて、「締めつけられる」方がしっくりくる、かもしれないよね。



口にする言葉は、整った言い回しである必要はなく、むしろ、身体の感覚を探りながら、話がとぎれとぎれになるくらい言ってみて感じて言いなおして、というように、ピッタリの言葉を探すことがキモ。


整った言い回し、というのは、すでに明らかにされた過去の情報なので、無意識と顕在意識の境目となるきわ:“エッジ” に触れることはない。


エッジに触れる言葉を見つけることこそ、本当に必要なメッセージへと身体と意識をひらく鍵なんだ。


過去でも未来でもなく、ただ、今、ここに在る、身体(それが伝えるものは、生命が生きようとする力、なんだと私は思ってる)を感じる。


それがすべて。そして永遠につながる。


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という、フォーカシングのやり方や、そこに見いだす、人の身体や心の不思議さやすごさ、については、いつもいくら語ってもフォーカシングラブが溢れてしまう私たちなのですが 笑


せっかくだから研究会で、腑に落ちたことなど、お仕事用のホームページのブログの方にちゃんと書き留めたいなーと思ったりもしてます。


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今日書きたいなーと思ったのは、「永遠の今」というフレーズで思い出したこと。



大学生の頃、スキューバダイビングクラブに入っていて、夏の合宿は、沖縄の離島に行った。


石垣島のビーチダイビングの時。

浜辺から、浅瀬になっている珊瑚礁のリーフを沖にむかって延々と歩き、深い海がはじまる切れ目にたどりつく。


そこから、紺色にみえる深みに、グーンと潜る瞬間は、何が出てくるのかわからない怖さも一瞬あるのだけれど。


天気が落ちついていて、濁りのないタイミングの南の海は、透明度が高く、目が慣れてくると、真っ白い砂に太陽の光がゆれて、とても綺麗。


岩場の陰には色とりどりの魚たち。



その、青い青い水の空間のなかで、不意に、ああこのまま時がとまってもかまわない、というような気持ちになったことがある。


腰につけたウエイト(重し)や、酸素のタンクの重さ、そして、泳ぐ姿勢や呼吸の仕方など、ちょうどうまくバランスがとれて、ふわぁーと浮遊する感覚になっていたのもあるだろうな。


浮かないように、または沈まないように、と力む必要がぜんぜんなくて、とてもとても心地いい。


何にもとらわれてなく、ただ、そこに浮かんでいる私。

私なんだけど、私でもなく。

まわりの青い空間そのものと隔たりなく、溶けこんでいるかのような。


その感覚は永遠の今、といえるものでもあったなーと。



それと、

すごーくよい音で、心地よく感じる音楽に包まれるのも、その浮遊感に似た気持ちになる。

ああ、ずっとこのままこうして聴いていたい、ってね。









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