サナギなわたし、そのあと

 

昨日、ああ、わたしはいまサナギの状態なのかもしれない、

と気づいた。

『春になったら苺を摘みに』

 

 

だから、もうあれこれ考えるよりも、

リラックスして流れにそっていこう、と

あらためて思った。

 

 

そして今朝は、

ずっと前から気になっていたところの片づけにとりかかった。

要らないものを処分したあとは、

すっきりと爽やかな気分。

(ハッカの精油をつかった♪)

 

 

昨日のフォーカシングから、

わたしの奥底では、

ああそういう感覚があるんだなと気づいた部分

(フェルトセンス:"感じられた感覚"という意味)が、

まだ動きつづけている。

 

(フェルトセンスは、いったんしっかりと意識を向けられて、

存在を認められ、描写され、変化をしはじめたあとは、

ひとしきりのプロセスを経て、

なんらかのシフトをするまで、動きつづけることが多い。)

 

 

そして、さっきまた、「ああ、そうだったか」

と気づいたことがある。

 

 

「ブログを書く=何か考えや方法を伝える」

と思っていたから、

もう今の時点では書くことがない、と

わたしは感じていたんだろうな、ということ。

 

どういうことかというと、

いまのわたしは、「自分の考えや学んだ方法を伝える」

というより、

 

まわりの人たちに対して、

「今あなたが感じている本当のところを聴かせてください」

という気持ちが強いんだな、とわかったから。

 

 

 

「今感じている本当のところ」、とは、

考えてすぐに言葉で説明できる部分よりも、

さらに深いところで感じていること。

 

(昨日からつづくフォーカシングで、

わたしも自分について考えてもわからなかった部分に、

これまで気づかなかった感覚が潜んでいたように。)

 

 

あたらしい生き方へかわることをうながされているこの過渡期に、

頭だけではなく、

頭も心もふくめた身体全体の奥底では、

みんな、それぞれの中で、何が生まれはじめているのだろう。

それを静かに見守り、問いかけ、対話してみたい。

今のわたしはそこにとても興味があるみたい。

 

 

そういう欲求に気づいたら、

今フォーカシングやNVC(共感コミュニケーション)の

オンラインでのつながりが広がっているのがうなづける。

 

 

この記事を途中まで書いてから、

さっき、NVC共感サークルマラソンに参加した。

 

そして、ちょうど気づいたことを聴いてもらえて、

ふっと心が軽くなって、

さらにモヤが晴れはじめたかな。

よい場だったよ(^-^)♡

 

 

 

 

『春になったら苺を摘みに』

 

すこし前に、梨木香歩さんの

『春になったら苺を摘みに』というエッセイを読んだ。

 

梨木香歩さんの作品でこれまで読んだことがあるのは、

 

『西の魔女が死んだ』

『家守奇譚』

『りかさん』

 

だったかな。

 

おおまかな記憶だけれど、

 

『家守奇譚』は、河童や植物の精が登場する、

幻影のような世界。

 

『りかさん』は、人形に魂が宿る、

日常のなかに影のような妖しさを垣間見る世界。

 

『西の魔女が死んだ』は、

直感力がきわまった超能力って、

誰でも研ぎ澄ませばもっているんだろうな、

と思った、魔女的な祖母と暮らす少女の話。

 

 

どれも不思議な印象があり、

他の本も読みたいなぁと思った、

好きな作家さん。

 

 

 

『春になったら苺を摘みに』は、

これまで読んだ小説の印象とはガラリとちがう

リアリティ、冷静な情熱、を感じさせるエッセイだった。

 

 

ものごとをみつめる澄んだまなざしと、

淡々とした語り口。

 

そのクールさの底に、

人という存在への愛情と洞察が力づよく流れている。

 

 

さきほどの小説を読んだときには、

それほど感じなかったのだけれど、

 

このエッセイを読んだとき、

「こんな文章を書ける人になりたい」と

ハッキリと思ったのだった。。

 

 

 

 

と、話がかわるのですが、

 

 

このブログは、わたしのなかで隠れ家的で、

つぶやきの延長のような感覚ですんなり書けるし、

それが楽しみ。

 

これとはちがう、

活動用のアメブロの更新はいま止まっていて、

 

今日、それをテーマに、

さっきフォーカシングをしてもらったら、

 

また書きたいなぁという気持ちと、

同時に、

今の時点で書こうと思うことはすっかり書いてしまったよな、

という区切り感、

とがあるのがわかったんだよね。

 

 

 

 

 

そして、

思いついた梨木香歩さんのエッセイ話から、

こうして今日のブログをかきはじめて、、、

 

 

いまふっと分かったのは、

 

3ヵ月間ほど、集中してアメブロを書いていたわたしから、

次のわたしへと、

いま移り変わろうとしているまっ最中なのかもしれない。

 

 

ひとつのプロセスが終わり、

次の始まりへと向かう、

無、の地点。

タロットでいえば、フール、愚者。

青虫から蝶になる中間地点のサナギ、ということですよ。

 

なるほどな〜っと、いま書きながら思ってる 笑

そうなのかもね。

 

 

ということで、

わたしの中ではちょっとした手ごたえがあったところで、

今日の記事は終わりにしよう(^^ゞ

 

とりとめがない本日のつぶやきに

おつきあいくださってありがとう♡

 

 

 

 

 

人の心がもつ、共感、という力

 

最近は、わたし自身の生活は大きくはかわってはいないものの、

関東や関西に住む兄弟姉妹、友人、の話をきくと、

これまでとはまったくちがう状況になっている不安定さ、

を身近に感じる。

 

わたし自身については、

体質に合わせて暮らし方をかえてきたら、

今の状態になった。

 

ある意味、

もともと自由に動けなかったから外出も必要以外にはせず、

やることも本当に必要なことにしぼるしかなかったので、

そこまでかわりがない、ともいえる。

 

(もちろん、いまは世界全体がそうなっているから、

状況はかなりちがうけれども)

 

 

そんなわたしの生活のなかでも、

かわってきたなぁと感じるのは、

フォーカシングの集い(オンライン)が、

いっそう濃ゆく、広がってきた、ってことかな。

 

わたしは毎日のようにセルフフォーカシングをする。

けれど、聴いてくれる相手:リスナーがいる方が、

より深く内側に入れるので、

モヤモヤなどがあって聴いてほしいときには、

フォーカシング仲間に頼む。

 

すぐにそういうセラピーがしあえる仲間がいるっていうのは、

そうとう心強い。

 

だから、わたしはフォーカシング的な対話ができる人が、

増えるといいなぁ、

みんながそうなると、

きっと世界はより調和して豊かに大らかになる、

と思っている。

 

 

10年間つづけてきたフォーカシンググループがあって、

そのままの自分でいられるみんなの率直さ、

それぞれの在り方を尊重し合っている安心感、

みたいなものがどっしりと土台になっているのが体感できる。

 

 

 

人はほんらい、調和(愛)と成長のプロセスをたどるようになっている。

 

けれど、地上的現実的体験のなかでは、

必ずといっていいほど、分離と抑制の体験をする。

 

分離と抑制の体験とは、

心や身体に傷を負う、

心からの望みを否定され、抑えこんでしまう、ということ。

 

まわりの人、そして自分自身の、心からの共感が、

その分離を癒し、調和へもどる助けになる。

 

この共感がえられないと、

分離と抑制のなかにとどまりつづけて、

つらい気持ちをくりかえし味わいつづける。

 

フォーカシングは、この停止してしまった状態に

共感と安心できる居場所をもたらし、

分離から、調和へともどる手助けをする。

 

 

人の心がもつ、共感、という能力。

人が意識をむける、ことで変化がおこる、という不思議。

とてもとても興味深い。

 

そんなことを想う今日。

 

 

 

 

iPhoneImage.png

 

何年前だろう。。。5、6年くらい前かな??

につくったビジョンコラージュ。

この雰囲気は、今の生活に似ている。

 

引っ越しで手放したけれど、

実はこの後に、この写真とすごく似た自転車を手に入れてた(^-^)

 

ちっちゃい女の子は、

この後に生まれた姪っ子を思わせる。

 

おもしろいね

 

 

 

見えなかったけれどずっとそこにあったもの


いま空で、太陽が、

冥王星と90度になろうとしている。


明日14日、20時前くらいに、

ピタリと角度をとる。


そして、明後日15日の朝8時前くらいに、

下弦の月。

(心や身体、出来事への作用が強まるタイミング。

新月〜上弦の月〜満月〜下弦の月〜次の新月という、

およそ1ヶ月間のなかの、

4分の3番目の節目)



この月は、冥王星と木星とかさなっている。

(冥王星と木星は、1度くらいの差で、

まだ重なっているから。)



90度にある星は、

強烈なインパクトを与えるものの、

ふだんは意識しづらいものをあらわしている。


だから、それが働くと、

思ってもみなかったショックを受けたりする。


(全くちがうものの見方を知るのが、

刺激的で快感の人もいると思う。

変化を好むタイプかな。)



自分の意見や存在を否定されるような、

全くちがうものの見方を示されたりね。


自分の中になかった意識を

ムリやり開かざるをえない、

って感じ。



あるいは、

怖れて見ないようにフタをしていた部分に気づく、

ともいえる。



時には、

これまで否定され、

抑圧されていた本来の自分の力が、

目覚めさせられる、こともある。



いずれにしても、

はじめはショックだったとしても、


まずは気づき、意識を向ける。

ということができさえすれば、

それをあるがままに認めて親身によりそい、

自分の中に居場所をつくっておけば、


必要な時間をかけて、

自分の力の拡大、成長、につながる体験にしていける。





昨日のフォーカシング研究会で、

3セッションがあったのだけど、

http://chie909.jugem.jp/?eid=958


この3人のフォーカシングに共通していたストーリーは、



「“ずっとそこにあったんだけれど、

ちゃんと見えていなかったもの”

の存在、大きさ、重たさ、重要さ、

に気づく」

だったなぁ、と思う。



わたしは、

このストーリーは、

いまの空の、

太陽と冥王星の90度がつくりだす、

意識の動きと関係があると思った。




この会では、

わたしはリスナーとオブザーバーのみで、

フォーカシングはしなかった。


でも、はじめのセッションを、

まわりで見守りつつ、

わたしの中でも動き始めたものがあり、


途中で絵と言葉が

あふれるように流れでてきて、

ノートに書き留めた。



それは、


痛んだハートと

涙のしずくと

そのしずくが雨のように降りそそぎ

大きな流れになっている


というイメージ。



このハートは、

もちろんわたし自身のものでもあるし、


でもそれだけではなくて、

このフォーカシング研究会の場にいる

みんなのものでもあり、


さらには、

ここにはいなくても、

何らかの気持ちがつながっている人たち

みんなのものなんだなぁ、

という気がした。


もしかしたら地球ともつながっているかもね。





今日、ひとりでセルフフォーカシングをしたら、

わたしの中には豊かに水をたたえた、

穏やかな湖があった。


ひたひたと優しく打ちよせる波うちぎわには、

どっしりとした建物がたっている。

うすいグレーの石造りで、

回廊があり、

中庭は蓮の花が浮かぶ池になっている。



水がいっぱい。


水は、感情をあらわす。



水は、わたしにとっては、

見えない場所に隠されていたものなんだよね。


(フォーカシングや心理占星術をはじめてからは、掘り起こしてきた)




いま、わたしの気持ちは、

この湖や池のように穏やかで柔らかい。

何かが洗い流されたような。


いまはただ静かにそのムードを味わってる^ ^





ここ2、3日は、皆さんも、


「“ずっとそこにあったんだけれど、

ちゃんと見えていなかったもの”

の存在、大きさ、重たさ、重要さ、

に気づく」


かもしれないですね(^-^)








これは、

とくにこの記事に関係はないけれど、

チェコで大人気という人形劇を調べてみたらあったので、

http://chie909.jugem.jp/?eid=955

めずらしくて載せてみたよ(*^^*)♪



スペイブルとフルヴィーネク

思案中のメニュー

 

最近、研究会以外で、
フォーカシングを試みる機会がふえていて、

 

(わたしが機会があれば、
試みようとしている、のもあるかも)

 

昨日もそうだった。

 

それで、ホロスコープやタロットもあわせて使いつつ、
メインはフォーカシング的な対話、
というセッションメニューをつくろうと思案中。

 

ホロスコープやタロットは、
素早く、今必要なテーマを見せてくれるから、
サポートツールとして最高なんだよね。

 

 

今日のフォーカシングも、
体験していただいた後のご感想がうれしかった。

 

フォーカシングは、
自分の身体の内側から反応が湧いてきて、
それが腑に落ちる理解や、
答えを導きだす。

 

ご本人自身が、
今の自分に本当に必要なメッセージを、
見つけることができる。

 

身体がゆるんで痛みがとれたり、
全身が暖かくなったり、


そのメッセージは、
身体の前向きな反応も含んであらわれる。

 

 

自分の体調と相談しつつ。
リリース時期を決めるつもりだけれど、


その前にモニターさん募集してみたいな、と思ってます。

詳細は以下です。

 

4月30日に、
モニター(無料)で受けていただける方を募集します。

 

11時〜12時くらい
13時〜14時くらい
15時〜16時くらい

 

 

もしご興味がある方がいらっしゃったら、
ご希望の時間の番号 銑をお書き添えの上、

こちらにご連絡ください(^^)♪


chie909⭐gmail.com
(⭐を@にかえて)

 

メールのタイトルは、

“ 『自分の内側とつながるセッション』モニター希望 ”
としてください。

 

 

今悩んでいることについて、
対話しながら、
ご自身が自分の内側に触れて、
言葉にしていくサポートをいたします。

 

言葉にはしにくいけれど、
何かモヤモヤしている状態でも可能です。

 

守秘義務がありますので、
内容を他の方に言ったり、
記事にしたりすることはありません。

 

(ご本人様の許可を得て、
ご感想をブログに記載させて頂くことはあります。)

 

お問い合わせも、上記のメールアドレスにお送りください(^^)

 

 

⭐このセッションでは、
ホロスコープやタロットリーディングの解説はいたしません。
わたしがサポートをするための理解に使わせていただきます。

 

 

セッションはオンラインのみでいたします。

 

Googleハングアウト
スカイプ
FaceTime
Facebookメッセンジャー
LINEビデオ通話
zoom
がご使用可能な方。

 

所要時間は、60分〜80分くらいです。

 

 

 

こちら↑
薔薇の原種だとか。
シンプルでかわいいね♡
元気よくのしのし伸びてて、
トゲも改良されているものより、
硬くて鋭いよ。

あるがままにすべてを感じきる

 

先日、オンラインでフォーカシングのセミナーを受けた。

アンとバーバラのフォーカシング

 

フォーカシング研究会で、

ずっとその方たちが書いた本を読みながら実践してきたものだから、

対面はかなわなかったけれど、

実際にご本人たちのデモを見て、

お話を聴いて、

ああ、わたしたちが実践しているそのままだ、

という興奮と感動があった。

 

そして、その後も研究会仲間と、感動がやまず、

しばらく熱く語っていたのだけれど。

 

そうしていながら、

このセミナーを受けたことが、

ひとつの修了証書のようだ、と感じた。

 

 

これでよかったのだ。

10年ほどかけてとりくんできた学びを、

しっかりと学び身に付けられたのだ、という確信が、

自分への信頼を明らかにして、

フォーカシングにとりくむ気持ちをさらに安定させ、

ずっとわたしの心の底に流れつづけている静かな情熱が、

あらためて泉のように溢れて今胸の内に姿をみせている。

 

 

アンとバーバラのフォーカシングの大きな特徴は、

自分の内側にあらわれるものすべてを

あるがままに親身に受けとめる存在に、自分がなる、

ということ。

 

これを言葉でいうのはシンプルなんだけど、

(実際にすることもシンプルなんだけれども)

 

あるがままに自分の中にあらわれるものすべてを受けとめる、

ことができるようになるには、

そうとう訓練をした。

 

 

 

自分の内側の

 

批判的な何かも、

怖れている何かも、

憤っている何かも、

悲しんでいる何かも、

こうしていること自体を否定するような何かも、

 

すべての感じを、

過小評価せず、

見過ごしたりフタをしたりせず、

 

 

ままならない状況だから、

しょうがないんだから、

「もういいだろうと」浅く触れただけで、

理解したつもりにならず、

 

 

その感じ自体が、

もう充分に感じてもらえた、

もういいよ、

と自然になるまで、

しっかりとそばに寄り添い感じきる。

 

ここまですると、

 

頭も心も含めた、

人の身体、は、もともと光の方へ、成長する方へ、

と伸びていく質を持っているので、

 

今の状況の中で、必要な力を思い出させてくれるんだよね。

そして、今することがわかる。

自分に必要なことを理解できる。



今日もオンラインでフォーカシングのセッションをして、

それをありありと感じた。

 

 

 

 

アンとバーバラのフォーカシング


今日は、オンラインで、

フォーカシングセミナー。


本当は対面で、

福岡まで受けに行くはずだったけれど、

コロナの影響でオンラインになった。


アメリカ在住のアン・ワイザー・コーネルさんと、

イギリス在住のバーバラ・マクギャバンさんにリアルにお会いできなかったのはすごく残念だけれども、


対面では参加できなかったフォーカシング仲間も、

オンラインになったおかげで参加でき、

またこのセミナーが、

涙がでそうなくらい良い時間だったので、感動してる。


企画してくださったみなさま、

ありがとうございます。

明日も楽しみです。




お二人が共同で執筆された、

フォーカシングマニュアルは、

わたしたちのバイブル。

くわしく読み込んで、実践してきた。


そのせいか、

お二人が今日見せてくださったデモと、

わたしたちが今実践しているスタイルは、ほぼ同じで、

それを確かめられたことと、

さらに深められるヒントも頂けた。


あらためてフォーカシングにまた夢中になる予感がする♡



占星術もタロットもそうだし、

心から好きだと感じたものは、

時を経ても色あせない。

むしろさらに豊かになっていくね。



より楽しむために、

英語話せるようにならなきゃな〜♪

世界が広がるよね。


不死鳥とオウム


おとといフォーカシング研究会で、アニマルクロッシングをしてもらったら、出てきたイメージは、不死鳥とオウムだった。


不死鳥は、ハリー・ポッター・シリーズ、ホグワーツ魔法学校の校長ダンブルドアが飼っているフォークスだった。


はじめにフォークスがでてきて、その後カラフルな南国っぽいオウムになって、それから白いオウムになった。



このまえしたアニクロでは、真っ白でふわふわのメンドリだった。

https://ameblo.jp/astro-chie/entry-12546861180.html



白、と、鳥、が今のわたしのキーワードなのかなぁ。。


白は、まっさらな、純粋な、という感じ。


鳥は、、、なんだろう。


浮かぶ印象をあげてみると、


空を飛ぶ

(メンドリは飛ばないけれどね(・∀・))

軽やか

高いところから見られる

つばさ

素早い



空を飛ぶ、とか、軽やか、っていう言葉がぐっとくるかな。


のびのびとさえぎるもののない広い空を軽やかに飛ぶイメージ。


そんな感じは確かにこのごろしてるかも。


(オウムなのは、おしゃべり、コミュニケーション、がわたしにとって大事だからだな、と気づいた。

可笑しい^ ^)




永遠の今

この前の、オンラインフォーカシング研究会で、「今、この身体を感じること。それは永遠につながる」というような話になった。


フォーカシングでは、いま身体がどう感じているか、を丁寧に感じて、言葉にしていくことで、いま必要なことが分かっていく。


いま感じていることを丁寧に、というのがとっても大事。


たとえば、よくある症状だから、といつも同じ表現であらわしてしまうことってあると思う。


例えば、緊張した時に、「喉がつまる」とか。


この前は、喉がつまる、感じだったとしても、同じような症状だと頭で判断して、同じ言葉をくりかえす、のでは、“今”の身体を感じているわけじゃない。


今の身体はどんなふうだろう。。。内側に意識を向けて、心をひらき、頭での判断なしでただ感じて、それを丁寧に言葉にしてみる。


今の喉の感じは、実は、「つまる」はピッタリではなくて、「締めつけられる」方がしっくりくる、かもしれないよね。



口にする言葉は、整った言い回しである必要はなく、むしろ、身体の感覚を探りながら、話がとぎれとぎれになるくらい言ってみて感じて言いなおして、というように、ピッタリの言葉を探すことがキモ。


整った言い回し、というのは、すでに明らかにされた過去の情報なので、無意識と顕在意識の境目となるきわ:“エッジ” に触れることはない。


エッジに触れる言葉を見つけることこそ、本当に必要なメッセージへと身体と意識をひらく鍵なんだ。


過去でも未来でもなく、ただ、今、ここに在る、身体(それが伝えるものは、生命が生きようとする力、なんだと私は思ってる)を感じる。


それがすべて。そして永遠につながる。


*****


という、フォーカシングのやり方や、そこに見いだす、人の身体や心の不思議さやすごさ、については、いつもいくら語ってもフォーカシングラブが溢れてしまう私たちなのですが 笑


せっかくだから研究会で、腑に落ちたことなど、お仕事用のホームページのブログの方にちゃんと書き留めたいなーと思ったりもしてます。


*****


今日書きたいなーと思ったのは、「永遠の今」というフレーズで思い出したこと。



大学生の頃、スキューバダイビングクラブに入っていて、夏の合宿は、沖縄の離島に行った。


石垣島のビーチダイビングの時。

浜辺から、浅瀬になっている珊瑚礁のリーフを沖にむかって延々と歩き、深い海がはじまる切れ目にたどりつく。


そこから、紺色にみえる深みに、グーンと潜る瞬間は、何が出てくるのかわからない怖さも一瞬あるのだけれど。


天気が落ちついていて、濁りのないタイミングの南の海は、透明度が高く、目が慣れてくると、真っ白い砂に太陽の光がゆれて、とても綺麗。


岩場の陰には色とりどりの魚たち。



その、青い青い水の空間のなかで、不意に、ああこのまま時がとまってもかまわない、というような気持ちになったことがある。


腰につけたウエイト(重し)や、酸素のタンクの重さ、そして、泳ぐ姿勢や呼吸の仕方など、ちょうどうまくバランスがとれて、ふわぁーと浮遊する感覚になっていたのもあるだろうな。


浮かないように、または沈まないように、と力む必要がぜんぜんなくて、とてもとても心地いい。


何にもとらわれてなく、ただ、そこに浮かんでいる私。

私なんだけど、私でもなく。

まわりの青い空間そのものと隔たりなく、溶けこんでいるかのような。


その感覚は永遠の今、といえるものでもあったなーと。



それと、

すごーくよい音で、心地よく感じる音楽に包まれるのも、その浮遊感に似た気持ちになる。

ああ、ずっとこのままこうして聴いていたい、ってね。









真っ白なスクリーン


部屋のようすは、心のようすとつながっている。


あらためてそれを感じた出来事。



数日まえから、だんだん部屋がごちゃごちゃしてきていた。

腕の肌が腫れているので、片づけるのがしんどくもなっていて。


今日は、頭もカラダもスッキリ軽い。

ちょっとモノをうごかしたついでから、サクサクと片づけられた。


その上、なんとなーく、こうしよう、と思うままにちょっとした模様替えまでした。


1ヶ月ほど前に、必要があって買ったけれど、結局つかわなかった、大きめのホワイトボード、ちょうどいい場所におさまった♪


お気に入りの絵葉書など貼る。

思いついた言葉を描いてみる。

なんだかとても楽しめるスペースになった!



そして、いま、ピカピカでつるりとした真っ白のホワイトボードを見つめつつ、「これはどこかで見たぞぅ」と心がモゾモゾした。







あー、思いだした!

これは、4月のフォーカシングでわたしの内側にあらわれた、輝く真っ白のスクリーンではないか!(私の中のおサルさんhttp://chie909.jugem.jp/?eid=768


買った時にはそんなこと少しも思いださなかったけれど。。


そして、使い道がなくなった時も、なんだか不思議なくらいムダにしちゃった感がなく、これはわたしに必要なの、となんとなく思っていた。



昨日(もう一昨日かな)心が揺れて古い記憶や妄想的不安がデトックスされた。

そしたら、あたらしいわたしと再会した気がした。(http://chie909.jugem.jp/?eid=778



そのわたしはさらに自由でクリエイティブで遊びたいのだ。ホワイトボードは、そんな、あたらしいわたしのための準備だったんだなー。


心のスクリーンに気がついたのは4月。

5月にはボードを手に入れていたけど、わたし自身の意識が変容するまで、待っていた、んだろうね。


と気づいたのがおもしろくて、もう眠りたいのに目が冴えて、こうして日記を書く 笑。


記録しとくとまたあとで何かを見つけられるかもしれないし。



ホワイトボード。

まっさらに白く、輝くキャンパスのよう。

そこに何を描こうかとワクワクする心。

創造性がでてきたがっている。

これからのわたしをあらわしている。


選ぶ持ち物は、その時の生き方の象徴でもあるね。