クスクス笑う


台風が近づいていますね。


今朝は目覚めたときから、

低気圧のせいかどんより気分。。


とはいえ、フォーカシングの研究会でしっかり感じてみたら、

わたしのどんより気分の奥には、

クスクス笑いたくなるような、

軽やかな何かがあった♡


感情ワーク、フォーカシングなどで、

そのつど、現れた感情をしっかり味わい、

その奥にある本当の願いを理解して、

の日々の習慣は、

わたしの心を解き放って、

しなやかに強くしているみたい。 (^^)




シンクロ具合もいい感じで。


朝、ふと、「ぜんざいが食べたいなぁ」と呟いてたら、

お昼に、「小豆を炊いたのよ」と頂き物。



わたしのまわりでも話題沸騰の映画『TENET』を観に行きたいなぁと思ってたら、

中学時代の仲良しさんから、ものすごく久しぶりに連絡が。

誘ったら行こう♪って^ ^


彼女とは、当時から映画好きで意気投合していた。


ひとりで鑑賞するのも好きだけれど、

この映画は、観たあとで話すのも楽しめるんじゃないかなと思ってて、うれしい♪

過去の 悲しさ/怒りは、味わいきるまで現在進行形でつづいてる


占星術師としては、いまの時期、


秋分にともなうデトックス、

火星の逆行と最接近、

17日の新月がノード軸とスクエア、

などなど、


いま自分の内でおこっている感情や、

感情をつよく刺激するような出来事について、

なるほど〜こういうことか、

と照らし合わせるのも興味深く。



同時に、頭の理解に留まらず、


ワークで自分の内側を掘り下げると、

「まだこういう縛りがあったのか〜〜〜!」

と驚くような発見があり、

怒りという激しい感情を発掘し味わいきり、


最後に、その奥にあるわたしの生命からの願いが腑におちたら、


あんなに苦しめられていた感情から、

スッキリと解放され、

身体も心も軽くなった。

https://ameblo.jp/doragonkimika/entry-12626534214.html 



繊細さという才能のせいもあると思うけれど、

あまりにもとらわれてしまう出来事には、


過去に癒されなかった悲しみ/怒りが、

潜んでいることが、ほんとに多い。


長い時間を経て、

自分では過去のことだと思っていても、


当時あるがままに味わわれることなく、

理解されなかった感情は、


どんなに時間が過ぎ去っても、

現在進行形でつづいていく。

https://ameblo.jp/astro-chie/entry-12542294431.html



この感情に気づいて欲しい。

この怒り、悲しみ、やりきれなさを、

あるがままに味わいきって欲しい。


そして、その奥に隠された、

“この生命からの欲求”を理解してほしい。


という、自分の身体/生命からのメッセージなんだよね。



そして、これは悪者探しではなく、

(その時代の厳しさや情報の少なさ、親の苦しさもあると理解しているから)


けれど、やはり、もっとも大きな縛りを与えているのは、

親との関係から生まれた、

自分の中の思い込みなので、


それを認めて、ちゃんと怒り、

悲しみやその他の感情を味わいきり、


自分を解放しなくては。


過去、いまより無力だった自分は、

親、(もしくは、兄弟姉妹、

ほかの保護的立場の人)の

どんな言動に傷つき、悲しみ、

自分を守るためにどれほどの怒りを感じ、

そしてそれを我慢していたのか?


あいまいにせず、

まっすぐに見つめ、

自分の内がわにあるものに親身に寄りそい、


それが自然に変化できるような、

時間とゆとりをもって過ごす、

のもいいんじゃないかな。


あるがままに認めて寄り添い、

充分に味わってもらったら、

必要な時間をかけて、感情は変化して、

大事なことに気づかせてくれる。


https://ameblo.jp/astro-chie/entry-12578120385.html 


https://ameblo.jp/astro-chie/entry-12575626234.html


https://ameblo.jp/astro-chie/entry-12566305706.html



自分の内側を感じるとき、

あるがままに話を聞いてくれる相手がいるとより深く感じられる。


もし、ひとりでするときには、

『ノートに書く』

のがだんぜんオススメ。


ノート、白紙、裏紙、

なんでもよいのだけど、書く。


頭で考えているだけでは、出てこないものがたくさん出てくるよ^ ^







それは大きなメッセージ


人は、“自分になる” というプログラムを、

生まれつき完璧にかねそなえている。


そのプログラムにそって、素直に生きているとき、

安心、心地よい刺激、充実感、など、

身体がリラックスするような、

イキイキと呼吸をするような、

感覚を味わう。


自分のプログラムに反した生き方をしているとき、

悲しさ、怖れ、怒り、など、

身体が重く冷たく鈍くなるような、

ネガティヴに思える感覚を味わう。



このネガティヴに思える感覚は、

あなたらしく生きるために、

必要なメッセージを秘めた、

大きなギフトなんだ(^^)



ネガティヴな感覚や感情があらわれそうになると、

わたしたちは、フタをして見ないようにしたり、

それに「〇〇が悪いんだ」という説明をつけて、本当に気づかなければならないことから気をそらしたり、

浅い理解で無理やり納得しようとしたりする。


「〇〇がが悪いんだ。」というのは、

その時、なんとかその事態を自分なりに受けとめるために、

脳が勝手につくりだしたシナリオ(説明)なので、ほぼ真理ではない。


なのに、そのシナリオは、似たような状況がおこるたびに、

無意識に取り出されて、「〇〇が悪いんだ。」というシナリオをさらに根づかせて、人生を支配していく。




イキイキと、自分らしく生きることを妨げているシナリオがあったら、

それは、いま自分がリラックスしたり、のびのびと生きられるものへと書き換える必要があるし、

書き換える事は自分でできる。


いま、自分にとって心地よいシナリオに書き換えましょう♪

https://ameblo.jp/astro-chie/entry-12565305931.html




簡単に書き換えができない場合。


身のうちにあらわれる感覚や感情は、

自然現象のようなものなので、

コントロールはできない。

けれど、その感覚や感情によりそって、しっかり味わい、

その奥に隠された、自分の願いに気がついたら、その感情はスッキリと解消される。


ネガティヴに思える感覚や感情は、

「あなたがイキイキと生きるためにこれが必要なんだよ」と教えてくれている、時には人生をかえるほどの大きなギフトになるメッセージなのよ。



「〇〇が悪いんだ。」という

脳が勝手につくりだしたシナリオは、


その下にある、まだ消化されていない過去の感情をしっかり味わい、

そこに秘められた、「わたしらしく生きるために必要なメッセージ」を理解しない限り、えんえんと繰り返される。


でも、感情をあるがままに受けとめ、よりそい、味わいきり、

何が必要だったのかを理解すると、

「あの苦しさは何だったの??」というくらい軽やかに消えてしまったりする。


しくみはシンプルなんだけど。。



思考を優先して生きていると、

感情を味わいきらず、苦しいシナリオに支配されて、人生を過去のパターンにのっとられて、いまをイキイキと生きられない。



わたしは、感覚や感情を味わい、

その奥にある自分の生命からのメッセージを受けとるワークを習慣にしているので、どんどん軽やかになってきてる。

楽しいことを思いつき、

すんなりと実行する。

ささやかな日々の喜びに素直に感謝し、

大きな喜びも充分に味わい、満たされている。


もちろん、落ち込んだり、怒ったり、しますよ。生きてるから。

だけど、それはいまイキイキ生きてる感覚なんだなぁととらえられるゆとりがわたしのうちにあり、

そういう感情が生まれた理由があるんだよねぇと寄り添うから、

ああ、わたしにはこれが必要なんだねぇと理解できて、

自分がより健やかに心地よく生きていくためのバージョンアップにつながっている。


喜びや嬉しさという、ポジティブに思える感覚や感情も、

これはわたしの何の必要が満たされたから生まれたのかな、

と丁寧に味わい、その奥のメッセージを受けとると、

自分への理解と信頼がより強まり、

人生の豊かさをさらに深く味わうこともできる。


この感情と望みのワーク、

ファニーでもやりますよ。

https://funnyapple.jimdosite.com/ 


くわしく知りたい方は、

“ 共感コミュニケーション ” 

“ 非暴力コミュニケーション ”

“ NVC ”

で調べると、さまざまな活動があるので、参加してみられるのもよいと思います。



あるがままに受けとめる方法を知っている人たちがまわりにいると安心して自分の感情を味わうことができます^ ^


ファニーでは、ほかにもいろんなワーク、お話、たくさんあるので、

何かもっと生活をイキイキとさせたい、という方、ぜひぜひご参加いただきたいなぁ♡



*****


ちなみに、これはわたしにとって、すごく幸せなシナリオだなぁと感じているのは、

「わたしは仕事で常に素敵な相棒、クライアントさんに恵まれる。」

です。


わたしは、これを無意識に持っていました。



もちろん、素敵、とは素直に思えず、

葛藤、悩み、そして、成長、をもたらす関係性もありましたが、

わたしはずっとこのシナリオを持っているので、

難しい関係性はくり返されるパターンには定着せず、

基本的に、心地よい刺激を与え合うことで共に成長する相棒や仲間に恵まれています。



自分にくつろぐ


先日、ゆったりとした気分を思い出すのに、

「これはよいなぁ」という言葉を教えてもらった。


“ 自分にくつろぐ

相手にくつろぐ

環境にくつろぐ

身体にくつろぐ

世界にくつろぐ ”


マインドフルネスの言葉だったかな。



“ 自分にくつろぐ ” って、

どんな感じかもう少しくわしく教えて、と話をきいて、


これはわたしの体験では、

フォーカシングの、

自分の内側にどんな感覚や感情がでてきても否定せず、

ただあるがままに居させて、

まるっとすべてを包みこむ意識の持ち方、

に近い、もしかしたら、同じだなぁと思った。


その感覚にこの言葉をつなげたら、

言葉を思い出すだけで、

まるっと包みこまれるおおらかな感覚をたぐり寄せることができるようになった。




焦っていたり、

いたたまれない落ちつかなさ、なんかに流されそうなときに、

“ 自分にくつろぐ ” という言葉を思い出すだけで、

ふっと力が抜けて、おおらかに自分を許すことができる。

そうすると、他の人にもやさしくなれる。

いま自分の中でよくつぶやいている好きな言葉♡





サナギなわたし、そのあと

 

昨日、ああ、わたしはいまサナギの状態なのかもしれない、

と気づいた。

『春になったら苺を摘みに』

 

 

だから、もうあれこれ考えるよりも、

リラックスして流れにそっていこう、と

あらためて思った。

 

 

そして今朝は、

ずっと前から気になっていたところの片づけにとりかかった。

要らないものを処分したあとは、

すっきりと爽やかな気分。

(ハッカの精油をつかった♪)

 

 

昨日のフォーカシングから、

わたしの奥底では、

ああそういう感覚があるんだなと気づいた部分

(フェルトセンス:"感じられた感覚"という意味)が、

まだ動きつづけている。

 

(フェルトセンスは、いったんしっかりと意識を向けられて、

存在を認められ、描写され、変化をしはじめたあとは、

ひとしきりのプロセスを経て、

なんらかのシフトをするまで、動きつづけることが多い。)

 

 

そして、さっきまた、「ああ、そうだったか」

と気づいたことがある。

 

 

「ブログを書く=何か考えや方法を伝える」

と思っていたから、

もう今の時点では書くことがない、と

わたしは感じていたんだろうな、ということ。

 

どういうことかというと、

いまのわたしは、「自分の考えや学んだ方法を伝える」

というより、

 

まわりの人たちに対して、

「今あなたが感じている本当のところを聴かせてください」

という気持ちが強いんだな、とわかったから。

 

 

 

「今感じている本当のところ」、とは、

考えてすぐに言葉で説明できる部分よりも、

さらに深いところで感じていること。

 

(昨日からつづくフォーカシングで、

わたしも自分について考えてもわからなかった部分に、

これまで気づかなかった感覚が潜んでいたように。)

 

 

あたらしい生き方へかわることをうながされているこの過渡期に、

頭だけではなく、

頭も心もふくめた身体全体の奥底では、

みんな、それぞれの中で、何が生まれはじめているのだろう。

それを静かに見守り、問いかけ、対話してみたい。

今のわたしはそこにとても興味があるみたい。

 

 

そういう欲求に気づいたら、

今フォーカシングやNVC(共感コミュニケーション)の

オンラインでのつながりが広がっているのがうなづける。

 

 

この記事を途中まで書いてから、

さっき、NVC共感サークルマラソンに参加した。

 

そして、ちょうど気づいたことを聴いてもらえて、

ふっと心が軽くなって、

さらにモヤが晴れはじめたかな。

よい場だったよ(^-^)♡

 

 

 

 

『春になったら苺を摘みに』

 

すこし前に、梨木香歩さんの

『春になったら苺を摘みに』というエッセイを読んだ。

 

梨木香歩さんの作品でこれまで読んだことがあるのは、

 

『西の魔女が死んだ』

『家守奇譚』

『りかさん』

 

だったかな。

 

おおまかな記憶だけれど、

 

『家守奇譚』は、河童や植物の精が登場する、

幻影のような世界。

 

『りかさん』は、人形に魂が宿る、

日常のなかに影のような妖しさを垣間見る世界。

 

『西の魔女が死んだ』は、

直感力がきわまった超能力って、

誰でも研ぎ澄ませばもっているんだろうな、

と思った、魔女的な祖母と暮らす少女の話。

 

 

どれも不思議な印象があり、

他の本も読みたいなぁと思った、

好きな作家さん。

 

 

 

『春になったら苺を摘みに』は、

これまで読んだ小説の印象とはガラリとちがう

リアリティ、冷静な情熱、を感じさせるエッセイだった。

 

 

ものごとをみつめる澄んだまなざしと、

淡々とした語り口。

 

そのクールさの底に、

人という存在への愛情と洞察が力づよく流れている。

 

 

さきほどの小説を読んだときには、

それほど感じなかったのだけれど、

 

このエッセイを読んだとき、

「こんな文章を書ける人になりたい」と

ハッキリと思ったのだった。。

 

 

 

 

と、話がかわるのですが、

 

 

このブログは、わたしのなかで隠れ家的で、

つぶやきの延長のような感覚ですんなり書けるし、

それが楽しみ。

 

これとはちがう、

活動用のアメブロの更新はいま止まっていて、

 

今日、それをテーマに、

さっきフォーカシングをしてもらったら、

 

また書きたいなぁという気持ちと、

同時に、

今の時点で書こうと思うことはすっかり書いてしまったよな、

という区切り感、

とがあるのがわかったんだよね。

 

 

 

 

 

そして、

思いついた梨木香歩さんのエッセイ話から、

こうして今日のブログをかきはじめて、、、

 

 

いまふっと分かったのは、

 

3ヵ月間ほど、集中してアメブロを書いていたわたしから、

次のわたしへと、

いま移り変わろうとしているまっ最中なのかもしれない。

 

 

ひとつのプロセスが終わり、

次の始まりへと向かう、

無、の地点。

タロットでいえば、フール、愚者。

青虫から蝶になる中間地点のサナギ、ということですよ。

 

なるほどな〜っと、いま書きながら思ってる 笑

そうなのかもね。

 

 

ということで、

わたしの中ではちょっとした手ごたえがあったところで、

今日の記事は終わりにしよう(^^ゞ

 

とりとめがない本日のつぶやきに

おつきあいくださってありがとう♡

 

 

 

 

 

人の心がもつ、共感、という力

 

最近は、わたし自身の生活は大きくはかわってはいないものの、

関東や関西に住む兄弟姉妹、友人、の話をきくと、

これまでとはまったくちがう状況になっている不安定さ、

を身近に感じる。

 

わたし自身については、

体質に合わせて暮らし方をかえてきたら、

今の状態になった。

 

ある意味、

もともと自由に動けなかったから外出も必要以外にはせず、

やることも本当に必要なことにしぼるしかなかったので、

そこまでかわりがない、ともいえる。

 

(もちろん、いまは世界全体がそうなっているから、

状況はかなりちがうけれども)

 

 

そんなわたしの生活のなかでも、

かわってきたなぁと感じるのは、

フォーカシングの集い(オンライン)が、

いっそう濃ゆく、広がってきた、ってことかな。

 

わたしは毎日のようにセルフフォーカシングをする。

けれど、聴いてくれる相手:リスナーがいる方が、

より深く内側に入れるので、

モヤモヤなどがあって聴いてほしいときには、

フォーカシング仲間に頼む。

 

すぐにそういうセラピーがしあえる仲間がいるっていうのは、

そうとう心強い。

 

だから、わたしはフォーカシング的な対話ができる人が、

増えるといいなぁ、

みんながそうなると、

きっと世界はより調和して豊かに大らかになる、

と思っている。

 

 

10年間つづけてきたフォーカシンググループがあって、

そのままの自分でいられるみんなの率直さ、

それぞれの在り方を尊重し合っている安心感、

みたいなものがどっしりと土台になっているのが体感できる。

 

 

 

人はほんらい、調和(愛)と成長のプロセスをたどるようになっている。

 

けれど、地上的現実的体験のなかでは、

必ずといっていいほど、分離と抑制の体験をする。

 

分離と抑制の体験とは、

心や身体に傷を負う、

心からの望みを否定され、抑えこんでしまう、ということ。

 

まわりの人、そして自分自身の、心からの共感が、

その分離を癒し、調和へもどる助けになる。

 

この共感がえられないと、

分離と抑制のなかにとどまりつづけて、

つらい気持ちをくりかえし味わいつづける。

 

フォーカシングは、この停止してしまった状態に

共感と安心できる居場所をもたらし、

分離から、調和へともどる手助けをする。

 

 

人の心がもつ、共感、という能力。

人が意識をむける、ことで変化がおこる、という不思議。

とてもとても興味深い。

 

そんなことを想う今日。

 

 

 

 

iPhoneImage.png

 

何年前だろう。。。5、6年くらい前かな??

につくったビジョンコラージュ。

この雰囲気は、今の生活に似ている。

 

引っ越しで手放したけれど、

実はこの後に、この写真とすごく似た自転車を手に入れてた(^-^)

 

ちっちゃい女の子は、

この後に生まれた姪っ子を思わせる。

 

おもしろいね

 

 

 

見えなかったけれどずっとそこにあったもの


いま空で、太陽が、

冥王星と90度になろうとしている。


明日14日、20時前くらいに、

ピタリと角度をとる。


そして、明後日15日の朝8時前くらいに、

下弦の月。

(心や身体、出来事への作用が強まるタイミング。

新月〜上弦の月〜満月〜下弦の月〜次の新月という、

およそ1ヶ月間のなかの、

4分の3番目の節目)



この月は、冥王星と木星とかさなっている。

(冥王星と木星は、1度くらいの差で、

まだ重なっているから。)



90度にある星は、

強烈なインパクトを与えるものの、

ふだんは意識しづらいものをあらわしている。


だから、それが働くと、

思ってもみなかったショックを受けたりする。


(全くちがうものの見方を知るのが、

刺激的で快感の人もいると思う。

変化を好むタイプかな。)



自分の意見や存在を否定されるような、

全くちがうものの見方を示されたりね。


自分の中になかった意識を

ムリやり開かざるをえない、

って感じ。



あるいは、

怖れて見ないようにフタをしていた部分に気づく、

ともいえる。



時には、

これまで否定され、

抑圧されていた本来の自分の力が、

目覚めさせられる、こともある。



いずれにしても、

はじめはショックだったとしても、


まずは気づき、意識を向ける。

ということができさえすれば、

それをあるがままに認めて親身によりそい、

自分の中に居場所をつくっておけば、


必要な時間をかけて、

自分の力の拡大、成長、につながる体験にしていける。





昨日のフォーカシング研究会で、

3セッションがあったのだけど、

http://chie909.jugem.jp/?eid=958


この3人のフォーカシングに共通していたストーリーは、



「“ずっとそこにあったんだけれど、

ちゃんと見えていなかったもの”

の存在、大きさ、重たさ、重要さ、

に気づく」

だったなぁ、と思う。



わたしは、

このストーリーは、

いまの空の、

太陽と冥王星の90度がつくりだす、

意識の動きと関係があると思った。




この会では、

わたしはリスナーとオブザーバーのみで、

フォーカシングはしなかった。


でも、はじめのセッションを、

まわりで見守りつつ、

わたしの中でも動き始めたものがあり、


途中で絵と言葉が

あふれるように流れでてきて、

ノートに書き留めた。



それは、


痛んだハートと

涙のしずくと

そのしずくが雨のように降りそそぎ

大きな流れになっている


というイメージ。



このハートは、

もちろんわたし自身のものでもあるし、


でもそれだけではなくて、

このフォーカシング研究会の場にいる

みんなのものでもあり、


さらには、

ここにはいなくても、

何らかの気持ちがつながっている人たち

みんなのものなんだなぁ、

という気がした。


もしかしたら地球ともつながっているかもね。





今日、ひとりでセルフフォーカシングをしたら、

わたしの中には豊かに水をたたえた、

穏やかな湖があった。


ひたひたと優しく打ちよせる波うちぎわには、

どっしりとした建物がたっている。

うすいグレーの石造りで、

回廊があり、

中庭は蓮の花が浮かぶ池になっている。



水がいっぱい。


水は、感情をあらわす。



水は、わたしにとっては、

見えない場所に隠されていたものなんだよね。


(フォーカシングや心理占星術をはじめてからは、掘り起こしてきた)




いま、わたしの気持ちは、

この湖や池のように穏やかで柔らかい。

何かが洗い流されたような。


いまはただ静かにそのムードを味わってる^ ^





ここ2、3日は、皆さんも、


「“ずっとそこにあったんだけれど、

ちゃんと見えていなかったもの”

の存在、大きさ、重たさ、重要さ、

に気づく」


かもしれないですね(^-^)








これは、

とくにこの記事に関係はないけれど、

チェコで大人気という人形劇を調べてみたらあったので、

http://chie909.jugem.jp/?eid=955

めずらしくて載せてみたよ(*^^*)♪



スペイブルとフルヴィーネク

思案中のメニュー

 

最近、研究会以外で、
フォーカシングを試みる機会がふえていて、

 

(わたしが機会があれば、
試みようとしている、のもあるかも)

 

昨日もそうだった。

 

それで、ホロスコープやタロットもあわせて使いつつ、
メインはフォーカシング的な対話、
というセッションメニューをつくろうと思案中。

 

ホロスコープやタロットは、
素早く、今必要なテーマを見せてくれるから、
サポートツールとして最高なんだよね。

 

 

今日のフォーカシングも、
体験していただいた後のご感想がうれしかった。

 

フォーカシングは、
自分の身体の内側から反応が湧いてきて、
それが腑に落ちる理解や、
答えを導きだす。

 

ご本人自身が、
今の自分に本当に必要なメッセージを、
見つけることができる。

 

身体がゆるんで痛みがとれたり、
全身が暖かくなったり、


そのメッセージは、
身体の前向きな反応も含んであらわれる。

 

 

自分の体調と相談しつつ。
リリース時期を決めるつもりだけれど、


その前にモニターさん募集してみたいな、と思ってます。

詳細は以下です。

 

4月30日に、
モニター(無料)で受けていただける方を募集します。

 

11時〜12時くらい
13時〜14時くらい
15時〜16時くらい

 

 

もしご興味がある方がいらっしゃったら、
ご希望の時間の番号 銑をお書き添えの上、

こちらにご連絡ください(^^)♪


chie909⭐gmail.com
(⭐を@にかえて)

 

メールのタイトルは、

“ 『自分の内側とつながるセッション』モニター希望 ”
としてください。

 

 

今悩んでいることについて、
対話しながら、
ご自身が自分の内側に触れて、
言葉にしていくサポートをいたします。

 

言葉にはしにくいけれど、
何かモヤモヤしている状態でも可能です。

 

守秘義務がありますので、
内容を他の方に言ったり、
記事にしたりすることはありません。

 

(ご本人様の許可を得て、
ご感想をブログに記載させて頂くことはあります。)

 

お問い合わせも、上記のメールアドレスにお送りください(^^)

 

 

⭐このセッションでは、
ホロスコープやタロットリーディングの解説はいたしません。
わたしがサポートをするための理解に使わせていただきます。

 

 

セッションはオンラインのみでいたします。

 

Googleハングアウト
スカイプ
FaceTime
Facebookメッセンジャー
LINEビデオ通話
zoom
がご使用可能な方。

 

所要時間は、60分〜80分くらいです。

 

 

 

こちら↑
薔薇の原種だとか。
シンプルでかわいいね♡
元気よくのしのし伸びてて、
トゲも改良されているものより、
硬くて鋭いよ。

あるがままにすべてを感じきる

 

先日、オンラインでフォーカシングのセミナーを受けた。

アンとバーバラのフォーカシング

 

フォーカシング研究会で、

ずっとその方たちが書いた本を読みながら実践してきたものだから、

対面はかなわなかったけれど、

実際にご本人たちのデモを見て、

お話を聴いて、

ああ、わたしたちが実践しているそのままだ、

という興奮と感動があった。

 

そして、その後も研究会仲間と、感動がやまず、

しばらく熱く語っていたのだけれど。

 

そうしていながら、

このセミナーを受けたことが、

ひとつの修了証書のようだ、と感じた。

 

 

これでよかったのだ。

10年ほどかけてとりくんできた学びを、

しっかりと学び身に付けられたのだ、という確信が、

自分への信頼を明らかにして、

フォーカシングにとりくむ気持ちをさらに安定させ、

ずっとわたしの心の底に流れつづけている静かな情熱が、

あらためて泉のように溢れて今胸の内に姿をみせている。

 

 

アンとバーバラのフォーカシングの大きな特徴は、

自分の内側にあらわれるものすべてを

あるがままに親身に受けとめる存在に、自分がなる、

ということ。

 

これを言葉でいうのはシンプルなんだけど、

(実際にすることもシンプルなんだけれども)

 

あるがままに自分の中にあらわれるものすべてを受けとめる、

ことができるようになるには、

そうとう訓練をした。

 

 

 

自分の内側の

 

批判的な何かも、

怖れている何かも、

憤っている何かも、

悲しんでいる何かも、

こうしていること自体を否定するような何かも、

 

すべての感じを、

過小評価せず、

見過ごしたりフタをしたりせず、

 

 

ままならない状況だから、

しょうがないんだから、

「もういいだろうと」浅く触れただけで、

理解したつもりにならず、

 

 

その感じ自体が、

もう充分に感じてもらえた、

もういいよ、

と自然になるまで、

しっかりとそばに寄り添い感じきる。

 

ここまですると、

 

頭も心も含めた、

人の身体、は、もともと光の方へ、成長する方へ、

と伸びていく質を持っているので、

 

今の状況の中で、必要な力を思い出させてくれるんだよね。

そして、今することがわかる。

自分に必要なことを理解できる。



今日もオンラインでフォーカシングのセッションをして、

それをありありと感じた。