今と今、で出会う

昨日はフォーカシング勉強会

この会では、フォーカシングの実践はもちろん、専門の本の読みあわせや、最近学んだことや体験したことのシェアをしたり、いろんな情報交換をする。


近況も、まわりのみんながフォーカシング的に(判断せず、おしつけず、あるがままに、心をひらいて)聴いてくれるので、すっきりと落ちついた気分になりやすい。


昨日は終わったあと、近くにできたあたらしいカフェを覗きがてら、お茶しておしゃべり。


そのときに、「今と今、で出会いたい」という言葉がでて、印象にのこった。


たとえ、いつも会っている気の合うなじみの相手でも、過去にわたしがどう言ったか、どうだったかにこだわらず、


そして、“この人はこういう人”というラベリングなしで、


ただ、今この瞬間、目の前にいるわたしを、あるがままに、みてもらう。

「いま、こんな風にかんじているのね、そうかそう考えてるのね」と。


それは、自由で呼吸がしやすく、変わり続けているなにかを、イキイキさせてくれるなーと思った。


その人の根本的な気質は、よほどの決意がないかぎり、大きく変わることは少ないかも知れないけど、


感じ方や考え方は、日々の体験や気づきで少しずつ変わっていくのがあたりまえだし、なんらかの刺激的な体験で、大きく変わることもある。


今、目の前にいるわたしは、過去、昨日とも、ちがうわたしだから。





近くにできたカフェ。

Meals are Delightful(https://www.marumitsu.jp/m_a_d/

いい感じ♪


2階の食堂カフェ



心の池に飛びこむカエル


せんじつ、なんとなくつけていたラジオで、松尾芭蕉の生涯を、物語ふうに聴いた。


芭蕉は、ただの言葉遊びだった俳句を、芸術に高めた人だという。



藩の誰もが認めるほど、文芸の才にたけた芭蕉は、俳句の魅力にとりつかれ、


そのころ、ただの言葉遊びとして、おもしろおかしく場を盛り上げるためにつかわれているのをみて、そうじゃないんだ!とつよい違和感をかんじていた。


「ちがう。俳句はそれだけのものじゃない。もっと深く感性に触れる何かを、表現できるはずだ」、と。



芭蕉がその信念を表現し、認められるきっかけになったのは、この句だ。



  古池や蛙とびこむ水の音




この句がなぜすごいのか。


芭蕉は、蛙が水に飛びこむ音を耳にして、「蛙とびこむ水の音」と下の句を先につくる。


そうして、目を閉じて考え、「古池や」と上の句をつけた。



芭蕉は、水の音を聞いただけで、蛙が飛びこむところを、実際に目でみたわけではない。


目を閉じたとき、芭蕉が見たのは、自分自身の心の風景だった。



こうして、俳句は、目に見えない感性を映しだす芸術として、表現されるようになる。



*********



わたしは、昔から俳句が好き。


言葉じたいが好きなので、五 七 五 という短さで、ある風景が浮かんでくるのが素敵だし、研ぎ澄まされた言葉への感性があるように感じて、かっこいいと思っていた。


だから、このストーリーも興味深く聴いてた。



そして、はじめて俳句の魅力が、バチっと分かった気がした。これまでの、なんか良いよね、くらいの受けとめかたとは、雲泥の差だと思う。



芭蕉の心象風景が描かれていると知り、あらためてその句を思い浮かべたとき、わたしの心の奥でも、パシャんと水の音がした。


小さなカエルが、わたしがすっかり忘れていた、思い出の池のなかに、つつーーっと潜っていく。

心のなかでさざ波が、かすかに揺れる。



そして、わたしはその夜、すこし切ない夢をみた。

起きたあともしばらく、ぼんやりともやのような悲しみが残っているような。


それをただ感じて、ゆっくりと起きだし、いつものように過ごしているうちに、そのもやは晴れ、清々しい気分になった。


カエルは岩の上で、あたたかい陽射しを浴びている。






生き生きと奔放に、堅実に


お正月にみた映画『イタリアが呼んでいる』のなかで効果的に使われていた、アラニス・モリセット。

昔好きでよく聴いていたので、思い出して懐かしかった。
最近またよく聴いている。

映画ストーリーは、マニアックな単館系で、とくにドラマティックな出来事はおこらない。

コメディアンとして活躍ちゅうの男性2人がとにかくよくしゃべる。よく分からないネタが多かったけれど、なんとなく可笑しかった。

なにより、景色がさいこう!
イタリアの田園風景、

太陽の光が燦々とふりそそぐ海。。


料理もとっても美味しそうで(ドライブしながらグルメ取材をしている)それだけでも満足した。

リゾート気分を楽しみながらも、仕事や家族のこと、それぞれ人生の曲がり角にさしかかっている雰囲気も時々あらわれる。
ひょうひょうとしながら、精一杯向きあって、いまできることを探す。

そんなところにも共感した。

ちょっと苦さも味わいつつ、リアルに生きてる感じに、アラニスの歌はよく合ってた。


わたしは、何か苦い出来ごとがあったわけじゃないけど、内がわと深く真摯に向きあうタイミング。(わたしの冥王星に空の土星が90度)
うん、やっぱりアラニスの歌はよく合うなー。

土星が山羊座に入って、社会性や堅実さが意識されるなか。

生き生きとした個人の生命力の輝きや奔放さが、社会的な責任感と同じくらい(あるいはそれより多いくらい)の濃度で、存在を主張してこそ、山羊座的社会は成り立つんだ、と感じているところ。
人それぞれが生き生きとできない社会は力がないもんね。


リラックスしてよく笑いよく遊ぼう。

そしてほんとに望むことを堅実に。

それが今年の抱負かな。

 

 

 

 

 

 

光(智慧)をはこぶもの

ついこのまえ、ルシファーという小惑星の意味をしった。


ルシファーは堕天使だ。

罪を犯して翼を失い、贖いのために地上におりた。


地球がほんらいの輝きをとりもどすまで、その務めはつづくとか。


その語源は、ルーチェ(luce)。

“ 光 ” を意味する。


ルシファー(Lucifer)は、光を運ぶもの、という意味をもつ。


闇に落ちたのにおもしろいよね。

単純に “ 罪を犯して ”という話ではないのかもしれない。

(象徴としてシンプルになってるけど、もっと想像力を働かせる余地はあるような。)


ルシファーの象徴するものが魅惑的なうえ、このまえに、雲間からさす天使の梯子をながめて、翼を失うイメージが湧いていたから、なおさら心惹かれた。


 

 

 

わたしのホロスコープでは、ルシファーはノード軸とスクエア。今世で果たす主要なテーマのひとつ。


それで、最近ちょっと遊んでいる易のサイト(https://tankyuu.net/eki/)で「わたしにとってルシファーの意味するものは?」と引いてみたら、こうでたよ




ホロスコープで読んだ意味を裏うちする。

そして表現がしっくりきた。



これは、わたし自身にというより、占星術やフォーカシング仲間、分野はちがっても、人がイキイキと生きるための知恵を伝える人たち、みんなにあてはまると思った。

仕事でなくても、人生の知恵をさりげなく教えてくれるまわりの人たちも。



本質を学び、知る、ことで、とらわれているものから解放され、癒されることは多い。

(知識で決めつけるというのは、逆にとらわれるから、本質的で、その人の内面に光をあてる知恵とは、またちがうね。)



自分にもどると。

わたしは、そういう人たちと、そういう活動にたずさわって生きたいし、そう生まれついたんだなぁとあらためてすんなり分かった。

つけてもらった名前もそうだしね。

もうシンプルにそれでいいんだなと、しっかり落としこめたら、内がわの何かがまた軽く、生きるのがラクになった気がする。

 



*****


ルシファーはこちらの進化占星術の講座で学びました。とてもおもしろくホロスコープ理解が深まりました。

リクエストで開催可能だそうですよ!

 ↓

eu-balance/ホリスティックセラピー

http://blog.goo.ne.jp/eu-balance/e/97778d89cd74544ca67638fbf4d4c905

 


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最近よく聴いてるガブリエル・アプリン

なんだかわたしの中のルシファーのイメージにしっくりくる歌

 

ますます、、ときたら

おひさしぶりにお会いして、


「ますます…」

と言われたら、

そのあとは


「…うつくしくなられましたね。」


という言葉あたりを期待する、

のではないかと(勝手に)思いますが、


わたしの場合、


「ますます、、、







パワーアップしたね(^^)」



と言っていただくことがほとんどで、うれしいような気も?するこの頃です。




昨日、お茶会に参加してくださったMちゃんが、おもしろいことを言ってくれた。



講座の時のわたしは、普段のモードとかわり、はじまる時にガシッと腕まくりして(実際にはしておりません!)「よっしゃーやったるぞ」というような雰囲気がでているのだそう 笑


そして、講座を通して、なんだかひとつの舞台を観ていたような印象がある、とか。


昨日はさらにそれがはっきりしてたよ、と。


彼女は、直感的にものごとをとらえて、ユニークな表現をするのがとても上手で、わたしはおしゃべりが楽しくてしょうがない。


ほかにも、そうかなるほど、うまいこと言ってくれるわ♪(^O^)、という表現がいくつかあった。


そんな彼女からの言葉、わたしのスタイルのひとつの指針になるなーとありがたくいただきました。




ホロスコープから考察すると、アセンダント獅子座(ドラマチックな表現)、アセンダントにトラインの5ハウス木星(パフォーマンス・舞台・熱血)、そして、スクエアの海王星(演劇)の効果かな。



明けがたの思い出


今朝、夜明け前に目が覚めて、実家で飼っていた猫のピーちゃんのことを思い出した。


連れ去られていなくなり、家族で、探しまわっていた時のことを。



姉と一緒に張り紙をつくって、近所中に貼ってまわり、時間があいたら、あちこちの公園など探しに行った。


その時の、悲しさ。

ひどい目にあってるんじゃないか、四六時中気がかりで、胸が苦しかった。


その気持ちを、また味わっていた。



可愛くてとっかえひっかえ首輪をつけて、本人も鈴を鳴らすのを気にいっていたのだけど、首輪だけが歩道の横の植えこみの上に置いてあったのを見て、首輪をつかまれて捕まってしまったのではないか、と胸が苦しくなった。


2ヶ月もいなかっただろうか。あきらめられるわけはなく、ただ悲しさと気がかり、そして守ってあげられなかった後悔、が慢性化していたころ、ピーちゃんは自力で帰ってきた。


ひどく痩せて、尻尾は折れ、毛ははげてタバコを押しつけられたような火傷のような傷があちこちにあった。

目は泣きはらしたように腫れ、声はガラガラで、ほとんど出なくなっていて。


そんなピーちゃんは、明け方、両親の寝室の窓辺にあらわれたのだった。よく帰ってきたね、と抱いてみんなで泣いた。


ピーちゃんは、それからおよそ17年間一緒に暮らし、いなくなった。

年をとり、もう家から出ることもなくなっていた。死に場所を探して出ていったんだろう。そんな予感を抱きつつ、両親はずいぶんと探したらしい。

『ぴーちゃん』

 http://chie909.jugem.jp/?eid=705



連れ去り事件が終わったあと、しばらくたって声も目も毛並みもすっかりきれいになった。尻尾の折れた形はそのまま残ったけれど。

元気に、ひょうきんに、猫らしく。

イキイキとした時間をくれた。

もう、あの苦しい時間を思い出すこともほとんどなく。(もう首輪をつけることはなかった。わたしたちが。本人はどう感じてたかは分からない。)

『うちの猫』

http://chie909.jugem.jp/?eid=157 



どうして、今思い出したのかなぁ。


つい最近、両親との関係、とくに父との関係をみつめなおしていたからかもしれない。父とピーちゃんはすごく仲がよかったから。

『ひさしぶりに』

http://chie909.jugem.jp/?eid=370



ある時味わったとてもつよい感情は、きっと生きてるかぎり、すっかりなくなってしまうことはないのだろう。


もう意識をすることはなくても、細胞のなかに溶けこんで、人をやさしくさせたり、ときには怖れや悲しみをにじませたり、する。


その感情を知ること。

居場所を作ってあげること。


問いただすことなく、ただとなりに寄りそい、感じてたことを受けとめる。


そうすると、ただむやみにふりまわされるのではなく、穏やかに共存することができるんだ、と思った。

受けとめ居場所をもつことで、癒されることもあるし、すぐに癒されなくても、はじめとは少しずつ姿をかえていく。


たとえば、それが怖れや悲しみだとしても、そのために望みを放棄することなく、共存しながら、一歩一歩、あたらしいアプローチで、未来へと踏みだすこともできると思う。



*****


夢から覚めた時につよい感情を味わったときの対処法。

昨日ツィッターでシェアされていて、いいなと思ってたので試してみた。

よかったですよ。


わたしがいつもしているフォーカシングと似ている。このワークのしくみは、ほんらい人に備わっている力なんだと思う。


覚書もかねて、ここにもリンクしますね。


『ほんとうの名前を口にする』

http://premamft.exblog.jp/amp/28157876/ 





体の奥とつながった心の声は道しるべ

この記事は昨夜いったん書いたのだけど、なんとなく違和感があって、ひと晩眠ったら、頭がすっきりして分かってきたので、書き直し。

 

 

長くて、まとまりきらず読みにくいかもしれません。

そして、気付いたことがあったら、また書き直すかも。。。

 

そんな記事ですが、読みにきてくださって、ありがとうございます。

 

 

国立天文台に行った(http://chie909.jugem.jp/?eid=774)あとで思いだした、わたしの内側にいた、ヤービ君。

 

ヤービという、ハリネズミみたいな不思議な生き物の男の子。

 

虫眼鏡をもって川辺や森を歩きまわって、いろんなものを調べるのが好き。オトナになったら学者になりたい。

 

わたしは、実は7年前に彼を見ている。

 

 

7年前、占星術で何かできるんじゃないかなと九州から関東に引っ越してきたとき、わたしは、まずはじめにフォーカシングのセミナーを受けた。

 

このセミナーを受けるのは、直前、ふとしたきっかけで決めたの。(今は偶然ではなかったと思うけど、なんとなく気になった本から繋がった流れ。)

 

このセミナーに参加するまえには、実際にフォーカシングの個人セッションを受けなきゃならない。

 

それで申し込んだら、ちょうどフォーカシングの分野では著名な方の担当の日だった。

 

先生は、自然で軽やかなコミュニケーションをされる、キリッとしつつも気さくな雰囲気の女性。

 

自然な会話の基盤には、もちろん研究と洞察と身につけた技法とでつくられた安定感がある。

 

たぶん先生の対応が合っていたのもあり、わたしははじめてフォーカシングをしたのだけど、おどろくほど自分の内側を感じることができた。

 

この時に、このヤービ君、実は現れていたんだよね。そのものの姿ではなくて、小さな妖精みたいな男の子だったけど、していたことは同じ。

 

野原で遊んで、拾ったものをもちかえって、調べたり磨いたりしていた。明るい洞窟みたいな部屋で。

 

「自然のなかで遊んで、みつけた素材をそのまま生かした美しいものをつくろうとしています。ひとりでこもってした方がやりやすいみたいです。」と言うようなことをわたしは言った。

 

先生は、それがわたしの現実の生活のなかで、何に関係しているか、感じられるか尋ね、わたしは分かるような気がうっすらしたけど、それがあまり良いと思えなくて、曖昧な答え方をした。

 

でも、先生は感覚がやはり鋭く、あなたは本当はそれを求めているんじゃないかしら、というようなことを、さらりとおっしゃった。ぜんぜん押しつけがましくはなくて、わたしは首をふって、「分かりません」、と言ってから、もしかしたらそうかもしれないけれど、今は、しなければならないことがあります。というように説明したと思う。

 

フォーカシングはあくまでも本人の気づきが大切なので、アドバイスしたりはしない。それはコントロールだから。

でもガイドはする。

 

このヤービ君の感覚は、セッションの最後ででてきたので、時間も限られていた。

ふつうであれば、次のセッションへとつづく流れになっただろうね。

 

ただこのセッションは、セミナーのための体験をかねた位置づけでもあったので、先生とは、この感覚を大事にして、セミナーを受けることでまた、分かってくることもあるでしょう、というような話になったと思う。

 

そのあと、先生が講師のセミナーは3日間みっちり。

 

わたしはこのセミナーのはじめのフォーカシングの時に、自分の心がクリアボックスみたいなものが重なった、大きな棚のならぶ倉庫みたいになっていることに気づいた。

 

生々しい感情はそのボックスに整理されて、外からは半透明のクリアボックスごしに、ぼんやりとしか見えない。

血のような色をした赤い感情は、クリアボックスにはふさわしくなく見えた。

 

このセミナーでは、何度もフォーカシングをして、わたしは、ヤービ君的な自分を認めることはできた。

ただ、そうしたい自分がいることは分かっても、実際に行動にうつすことができなかった。

そのために、いったんフタをして保留したんだと思う。

 

これは自分で分かったうえでしたこと。

上手くいくのか分からなかったし、自信もなくて。占いライターとか、仕事になりそうなことをした方がいいと思ったし(そのあとすぐに向いてないと分かったけど)、わたしは引き受けられない心にフタをして、頭で考えた方向へ進んで行った。

 

だから、たとえ、この時にもっとハッキリ言われたとしても、その時には、こうする方がいいはずだと決めていることがあり、まだどうしたらいいのかも、うまくできるのかも、自分を信頼しきれないこの時の私は、受けいれられなかったんじゃないかな。

 

たとえまわり道のようでも、体験をして、そして、思うことは、とっても大事と思う。その機会はわたし自身のもの。

その過程のなかで、自分への信頼をとりもどすこともある。

 

いま思えば、占星術なんかのツール(虫眼鏡)を使ってわたしがしたいことはそれだったんだよね、はじめから。そのままを観察して、理解して、読み物として伝わるように書いてみたい。

 

結局は、いまの場所にたどり着いたのだからいいし、いろんな経験に感謝している面もあるから、後悔とかではないの。

今後にいかせる学びもある。

 

むしろ、その望みをかなえるために、自信がないながらも、葛藤し迷いながらも、心の奥の何かが指ししめす方向へと歩いてきたから今にいたる、ということだろうな。

今のわたしが手にしている学びの場やご縁は、ヤービ君的わたしを育める豊かなものだと感じるから。

 

 

はじめ書きたかったのは、『心がうったえていることを見たとしても、軽く受けとめたり、否定的にあつかってしまうことは多いってこと。心の存在の重要さを理解しないかぎりね。』

だったんだけど、いったん書いた後で、心が動いて焦点を探していたら、少しずれていた。

 

この話で思うのは、自分の中の真実に気づいても、それを自分のものとして受けいれたり、形にしたりするのには時間がかかることもある、ということ。

 

 

自分の中にたくさん道を示しているものはあるけれど、受けとめられない時期もあるんだろうね。

 

そのサイン自体を見つめられない時もあれば、見つめても環境を変えることが難しく感じる時もある。

今はまだ力が足りないと自信がもてない、とかも。

 

わたしは、ずっと観察的な書き方をしてはいたんだけど、その自分をどこかで否定的にとらえていたんだと思う。

ちがう自分にならなければ上手くいかないと無意識に思いこんでいたことに、今回気づいた。

 

ここまで、そうとう、いろんなものを解き放してきたけれど、まだこんな思いこみから解放されきっていなかったとは。

 

自分への信頼をもて、無力感からの解放、があって、やっと手放せるのかもしれない。

一歩一歩、実際に重ねてきた体験が、自分への信頼を強めてくれた。

 

もう今は、体にリンクした心の声を聞くことがふつうになってきたから、あの当時のわたしに、ちゃんとここにたどり着くから、と言ってあげられる。安心してね、大丈夫だから、と。

 

これは、未来のわたしから、いまここにいるわたしに聞こえる声でもあるみたい。

いま行くところを見つけたわたしは、前ほどには怖がって無力に感じてはいないけど、やっぱりはげまされる。

 

 

 


この時ツィートしてたこと。

https://twitter.com/chierik/status/867920428970332160

 

 

星の使者

今日、わたしが行った場所♪

 

2、3日前に、国立天文台のキャンパスが開放されていて、見学できるという記事を目にして、気になってて、

 

今日はいい天気で出かけたくなり、ちょうどいいや、と行ってみた。

 

 

テクテクと構内を歩きながら、静かに胸がざわめいてる。

 

感じてるのは、親近感・・・?とはじめ思ったけど、ちょっとちがう。

そうだ、シンパシーだ。

 

シンパシー:共鳴、してる。

 

 

ここは、太陽の黒点を観測する第一赤道儀室。

1938年から61年間、太陽黒点のスケッチ観測をしてデータを世に送りだしていた。

 

いまは、最新の自動式の機械に現役をゆずり、見学用に保管されている。

 

 

 

今日の黒点は2個だったよ。すくないね。

いまは太陽の活動が活発でないそう。

 

 

 

緑でいっぱいの気持ちいい道を歩きながら、いろーんなことが頭に浮かぶ。

 

こんな専門機関には、そこに関わった人たちの集合意識が濃ゆく存在してるはず。

 

わたしはそれに触れに来たんだなぁと思った。

神社に参拝するみたいに。

 

 

きっと、何らかの意志をもって、ある集合意識に触れると、コードのようなものが接続される。

 

思いあたるのは、一昨日の自分がツィートした言葉。

 

“ わたしの月♡のサビアンが”バロメーター”という大気圧なんかをはかる測定器ということで、自分がなぜか毎日の星のうごきを読みたがる生き物だということを納得して受けいれました(←いや実は楽しいの 笑) ”

https://twitter.com/chierik/status/865681692828123136

 

天文学者の集合意識に接続されたかな〜(^.^)♪

 

 

 

点と点がつながって、ひとつの物語が織りなされる。

これは単なる空想かもしれないし、不思議な意味のあるインスピレーションかもしれない。

 

どちらでも構わなくて、それを信じるか信じないかはわたしの自由だ。

信じたことが自分の現実になるのだから。

 

そして、わたしはこの物語を信じる。

楽しくてワクワクするような冒険のように感じるし、わたしの体にもしっくりと落ちてきたから。

 

きっとこれは、わたしがこの世で楽しむエピソードの一つ。

 

 

 

そういえば、子供のころから、わたしは住みたい家を設計する空想が好きだった。

 

よく描いていた家には、六角形の塔のような細ながい部屋があった。

まわりはぐるりと窓になってる。

 

まだ占星術も天文学も知らないときだったけど、あれはもしかしたら天文台なんじゃないかな〜、なんてね。

 

 

 

こんなことを考えていた時間は、空の月がキロンに触れているタイミングだった。(今日の星のうごきはこちら⭐http://chie-astrology.com/20175-21

 

キロンは、痛みを乗りこえて身につけた賢さや癒しの力を人のために役立てる、という意味をもつ。

 

そして、空のドラゴンヘッド(未来へつなぐ縁)は、いまちょうどわたしのアセンダント(わたし自身を意味する)に重なっている。

 

 

心残り、のような、かなしさ、のようなものを含んだ想いを、未来への希望へとつなぐ、何か。

たしかに、それがいまわたしが胸に抱く物語の中にはある。

 

 

 

このときつぶやいていたこと

 

 

 

関連記事:森の中で宇宙とあそぶ〜星と森と絵本の家・国立天文台(http://chie-astrology.com/20170525-2

 

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