近い過去を生きた人々からの私たちへの「手紙」を読む、ということ

 

さいきん、仕事用のブログのほうで、

占星術というモノサシでいまの時代を読むシリーズを(勝手に)連載中。

よかったら読んでみてください(^.^)

 

プレ水瓶座時代編〜占星術というモノサシで今の時代を読んでみる その1

 

 

星のうごきを時代にあてはめて理解するには、

歴史を知ることが必須なので、

(人のホロスコープを読むには人間理解が欠かせないのとおなじだね)

 

あまり歴史が得意でないわたしは地道に勉強しつつ、

書いております。。。

 

 

世界史がわかるやつ〜と図書館でいくつか本を開いてみて、

あーこれは分かりやすいな、と思ったのは、

 

『早わかり世界近現代史』宮崎正勝著

 

 

そして、この本の「はじめに」

を読んだらなんだか泣けてきた。

 

ちょっと長いけれどこちらです。

 

 

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新たな世紀を間近に控えた西暦2000年の年末、

街にベートーヴェン「第9交響曲」の

「歓喜の歌」のメロディが流れていました。

 

この曲を聴くたびに、

私は「ベルリンの壁」崩壊後に訪れたプラハ(チェコ)のカレル橋の上で、

いくつもの輪をつくり、歌を歌っていた青年たちの表情を思い浮かべます。

 

社会も人間と同様に「なまもの」で、次々と姿を変えていくんだな、

と、そのときつくづく思いました。

 

歴史には、閉塞感に沈む時期があり、

高揚感に満ちた時期があるものです。

 

最近、私は「現代史」を、

2世代あるいは3世代前の人々が参加してつくりあげた、

壮大なシンフォニーではないかと考えています。

 

以前聞いた、ロストロポーヴィチというロシアのチェリストの、

「楽曲は作曲家からの手紙である」という言葉がなぜか耳に残り、

やがて「歴史」も「楽曲」と同じではないかと考えるようになったのです。

 

彼は、ソ連の官僚システムを批判する『収容所列島』を書いた作家ソルジェニーツィンをかくまい、

ソ連を追放された気骨のある演奏家です。

彼の勇気は、結果としてその後の「ベルリンの壁の崩壊」を準備しました。

 

「近現代史」は愚かな蛮行、失敗、野望などが横溢する

試行錯誤の過程のように見えるかもしれません。

しかし、実際には多くの人々の切実な生活の累積から成り立っています。

 

とくに現代史は、

近い過去を生きた人々からの私たちへの「手紙」であり、

私たちが戸惑いながら踏み出そうとしている「未知の時代」を読み解くための「地図」だと思います。

本書がいささかでも「現代史」との対話のきっかけになってくれれば幸堪です。

 

 

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この文章を読んで、

 

ホロスコープと、本人との対話を通して、人を過去から現在、

そして未来へと理解しようとするセッションと、

 

ホロスコープと、近い過去を生きた人々からの手紙:現代史、を通して、

いまを生きる私たちのDNAにひそむ意図を紐解こうとする、最近はじめた試みと、

 

それらが、曼荼羅のようにかさなりあって、わたしのなかで腑に落ちてきた。

泣けてきた理由はきっとそれだけではないけれど、

そうだったのか……とわたしの核に触れる感覚はこれが大きい気が今はする。

 

 

いま私のなかでおこっている変容が落ちついて、もっと理解できたころに、

このことをふりかえりたいと思うから、覚え書きとしても書いておこう。

 

 

 

昨日くらいから(牡牛座満月だったね!)こんな感覚を胸に抱きつつ、

さっきラジオから佐野元春さんの someday が流れてきたら、

また泣けた。

 

 

 

 

 

ほんとうに、いい歌。

 

 

 

 

魚座の23度『 Spiritist Phenomena 』のエネルギーをもつ彼は、

すこし先を走りながら時代の心をとらえ、

みんなに伝える詩人:メッセンジャーなんだなぁと思う。

 

 

 

 

 

『プラチナチケット』

 

”謎はいつもそこに” というブログをときどき読んでいる。

 

作者のサチコさんは、霊能者。

 

目に見えない世界のことを書いているのが不思議で興味をかきたてられておもしろいし、

 

目に見えない世界からのメッセージもあるけれど、何よりも自分が感じること、自分の意思がいちばん大切だ、というスタンスで書いていると感じるので、共感できる。

 

こちらの記事、いまの変化の時期を過ごすヒントが、わたしの気持ちにもしっくりきたのでリンクしておきます。

 

なぜ、それがイヤなのか?

 

なぜ、その状況が苦しいのか?

 

なぜ、その癖や習慣が手放せないのか?

 

とにかくじっくり眺めて・味わって・感じてみてください。

 

この時期出ているものは総決算的かもしれませんが、トラウマとかインナーチャイルドとかじゃある意味なくて。

 

いや、それもあるんですけど、この時期出ているものは「プラチナチケット」みたいなものなんです。 ご当選おめでとうございます🎊

 

その揺さぶられる「何か」は、いよいよあなたから解放されるために浮上してきました。

 

解放へのプロセスは、とにかくじっくり眺めて・味わって・感じてみること。(大事なことなので二回目)

 

blog 謎はいつもそこに『魂の闇夜に』より

 

プラチナチケットってたとえが素敵(^-^)

 

来年のはじめには、空で土星と冥王星とが重なる。いま変化をつくりだしている星たち。

かなり重くシビアな組み合わせ。

このあたりがいまの流れのひとつのピークともいえるね。

 

その後、保護と拡大の木星と冥王星が重なる。

いま登っている険しい山の頂上のその向こうには、大いなる豊かさと発展の可能性。

とも読める、ざっくりだけど。

 

輝く未来へ。

 

 

ちなみに彼女はアーティストでもあり絵も個性的で素敵だし、肩の力を抜いて書いた漫画もおかしくて笑えて好き。

 

 

 

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10月の星読み、アップしました(*^^*)

 

 

余白のシーン


ずっと、強弱はありつつ、家族のことで、覚悟や本心をためされているような時期ではあるのだけれど。


そのとき、そのときで、目の前の出来事と自分のできることと、心が揺れながらも、向き合っていくしかないなぁと思う。


家族ってやっぱり根っこで深く関わるから、感情もゆさぶられやすいしね。


自分の中にわきおこるいろんな感情も、ほかの人のものも、「そう感じているんだよねぇ」とたんたんと受けとめられるといいけど。


なかなかに。

揺れる気持ちもそれ自体が揺れるままに受けとめてもらいたがっているわけだから、しばらくは揺れていてもいいのかもしれない。

揺れるわたしの心の隣によりそう気分でみていよう。




そんな気持ちでいると、つい最近観た映画、小津安二郎さんの『東京物語』の空っぽの部屋のシーンがよみがえる。


人々が立ち去ったあとの、空っぽの部屋をしばらく映しているシーン。


占星術の研究会の仲間が、それを“余白“とよんで気になったと言っていた。

彼女は、言葉にならない繊細な感覚をとらえるのがうまい人だと思う。


人が立ち去った後の部屋には、残された感情の残像みたいなものがあるのかもしれない。


そこには登場人物の気持ちに重なるように、自分自身の気持ちも映しだされているんだろう。


余白のシーンは、それをじっくりと見つめる時間をつくりだす。

そういう“間”も、オズ映画の味わいなんだろうね。




世界ベストワンの評価と、『東京物語』を観たわたしの感覚とはまだすっかり一致はしていなくて、その間を埋めるほどにもっと深く理解してみたいと思ってしまう^ ^



苺泥棒


ウィリアム・モリス展に行ってきた。


椅子や壁紙やタペストリー、テキスタイル、製本、などなど、生活を美しくするものたちを、どんどん産みだしていったバイタリティーがすごいなぁと思った。


幼い頃、自然に親しむ暮らしのなかで磨かれた感性。

そこから産みだされる模様は、単なるパターンではなく、描かれた植物や鳥のイキイキとした雰囲気が魅力的だった。



インテリアに使うなら、わたしの好みとしては、壁ぜんたいを華やかな壁紙にするのは、盛り盛り過ぎって感じるかな。


白い壁に、あのテキスタイルを額に入れて飾るのは素敵と思った。


壁紙も、ソファのカバーも、カーテンも、あちこち絵柄が主張していると、落ちつかない。


どっちかっていうと、ミニマムな雰囲気が好きかも。。




とはいえ、有名な “ 苺泥棒 ” も間近でみられて満足。


やっぱりいちばん人気なのか、グッズにたくさん使われていたデザインだった。


これはスタンプ

なんとなくとぼけた鳥の顔に味わいがあってかわいい♪



プリント技術がまだ発達していない時代、藍染に、赤や黄色をどう染めるか。


試行錯誤をくりかえして、自分がイメージしたものを産みだす姿には、「そうだよね、一回で思うようにできなくてもあたりまえ、ものづくりってそういうもんだよね」、と励まされる。



テキスタイルの画像はこちらでみられます^_^

https://william-morris.jp/works/textile-strawberry-thief.html 







心を解くもの


わたしのしている心理占星術のご相談では、ホロスコープからその方のもつ可能性をお伝えすることも大切なんだけれど、そのまえに、生まれ育った環境のなかで、身についてしまったネガティブなパターンに気づき、解いていくこともとても大切にしている。


これはタロットリーディングでもおなじ。


我慢しすぎるとか、無力感だとか、過剰に無理をしてしまうなど、苦しみを無意識につくりだしてしまうパターンにとらわれていると、本来ならば自然にわきあがる、イキイキとした生命力や、創造力や、愛する気持ち、が抑圧され、素直にあらわせなくなってしまうから。



過去に身につけてしまった苦しいパターンを解くとき。


苦しかったことを思い出し追体験するのはおすすめしない。

追体験では、むしろ痛みがまたあらたに生まれてしまう。さらには、苦しいパターンが強固に残ってしまうこともある。



そうではなくて、その時に自分が、こういう風に感じていたんだね、と感情をあるがままに認めて寄りそう。


(その感情は、悲しみや寂しさのこともあるだろうし、もっと細やかに自分の身体にしっくりくる言葉を探る。)


ただそれだけで、過去からずっと心の底に残っていた感情は変化していくものなんだよね。


その悲しみが一度の受容ですぐにすべてが癒されないとしても、あるがままに、そこにあることを認めて、寄りそう、を繰り返していくうちに、やわらかく解けていくの。


これはわたしはフォーカシングをとおして、徹底的にやってきたし、今はその習慣が身についたので、なにやら悲しくてモヤモヤするときには、いつでも丁寧に自分の心に寄りそう。



人の心はいつもコロコロと動いているもの、だから心というんだとか。


誰の心も、楽しさやうれしさを感じ続けるように、悲しみもせず苦しみもしないようになることはない。


(とても強いショックを受けて、なにも感じないようにする、場合はある。その場合は、なにも感じない、というのがうわべで感じていることで。そのうわべの蓋の下には、かなり深く重い“感じ”が閉じこめられていることになる。)



悲しみや苦しみが生まれたとき、それらを抑えこんでしまったり、過小評価したり、なかったことにしたり、ねじ曲げて受けとったりせずに、心がモヤモヤしているときには、そのままに認めてただ寄りそう。


そうすれば、必要な時間をかけて、痛みはしだいに解けていく。解けきらない部分があったとしても、それにふりまわされずに、しなやかに扱えるようになる。


(強く印象に残る出来事にまつわる感覚が、すっかりなくなるというケースはあまりなく、ただ、生々しく固く絡まっていたものがやわらかく解け変化したり、すこし離れてみることができるようになったりする、のだと思う。


だから、すっかり癒して手放そうとか力む必要もない。ただ生々しく同化はしないだけ。


心の中に居場所をつくってあげて、“それ”が呼ぶときには、いつでも寄りそう。自分の中に、そういう悲しみや痛みの居場所を持っている人は、優しくなるのかもしれないね。)



そうすれば、いつまでも悲しみにとらわれ続けずに、軽やかに、今を大切に生きていけるってこと。


いまイキイキと感じている、持って生まれた力を試す喜びや、大切なものたちに感じる愛おしさを、そのままに育み表現できる自分でいたいから、わたしは、フォーカシングを身につけて本当によかったな、幸せだな、って思う。



わたしのなかに眠るもの


7月の皆既日食の冥王星が、2度差という近さでわたしのドラゴンヘッドのそばにあり、


部分月食では月が、わたしのドラゴンヘッドにかさなっていた。


おとといの獅子座新月から、だいぶ流れが変わってきた気がして、ふりかえってみると、


この7月という時期は、ルーツも含めて、家族というつよい水流の渦に巻きこまれているみたいだった。

蟹座の季節の日食にふさわしい。


具体的には、父と母のために集中して動いた。

いつもは遠くに住んでいる姉妹や叔母と協力してミッションを果たした。

大げさに聞こえると思うけれど、そんな気分になってすらいる。


まだ終了していないミッションもあり、まだしばらくは続くけれど、はじめのインパクトはのりきった、という感じ。


日食、月食の影響はほぼ6ヶ月続くと考える。

日食や月食がおこった月に、その影響がハッキリと現れて、6ヶ月の流れの肝を教えてくれるんだろう。



そんななかで、育った環境や両親との関係について、またちがう角度から理解する機会もできた。


より深くわかったこともけっこうある。

それはまた言葉にできたらいいな。



いま、なるほどな〜と眺めているのは、わたしの母方の祖母の出生ホロスコープ。


この祖母は、わたしが生まれる前に亡くなっている。

だから、わたしはこれまで母の話からしか、彼女をみてこなかった。

その情報もまた、多くもないのだけれど。


今回、母の妹である叔母とゆっくり話す時間があった。


叔母の視点からきく祖母は、母の視点からみる姿とまたちがう女性だった。


結局は、母は母の、叔母は叔母の、ものの見方というフィルターをとおして、祖母を見せてくれているに過ぎないんだね。



叔母と話していて、心に触れる何かがあって、ふと祖母の誕生日を聞いてみた。


会ったことがないせいか、思い出話しを聞くだけで満足していて、これまで彼女の出生ホロスコープをみようなんて、思いつきもしなかったんだけど。。



ホロスコープをひらいてみると、、、



祖母の金星は、わたしの金星とまったく同じ位置にあった。

少しのズレもない。


金星は、感性、美意識、人づきあい、愛、の象徴。



そして、彼女の木星は、わたしの仕事や社会的な生き方を現す、Mcにぴったりと重なる。

こちらも少しのズレもない。


さらに、彼女のドラゴンヘッドは、少しのズレもなく、わたしのドラゴンヘッドと90度。



彼女の太陽は、2度という少しの差で、わたしのドラゴンテイルと重なる。


つよい縁を感じる配置。

ドラゴンヘッド・テイルがからむと、宿命的、前世的意味合いも含まれてくる。



だから今回の日食、月食は、わたしと彼女の宿命的絆を照らしだした、ともいえる。




祖母は、結婚して岡山にうつり住むまで、東京で華やかに文化的な暮らしをしていた人だ。

当時で考えるとハイカラで、若い頃には、イギリス大使館で働いていたという。



わたしは生まれも育ちも九州で、ほどよい自然のなかで暮らすのが好きなんだけど、

同時に、東京の空気感がとても好きなんだ。


人混みやギラギラした感じは苦手なんだけどね、なんというか、昔から保たれてきたんだろうな〜という文化の香りを感じられるような場所が、すごくいいなと思う。


気のせいのようでもあるけど、東京に住む前から感じていた、憧れまじりのうっすらと懐かしい感覚は、もしかしたら、この祖母のものだったのかもしれないと、わりと真面目に最近思っている。


言葉で伝えられたものではなくても、身体や血をとおして、伝えられるものはあるのでしょう。


知ることで、わたしのなかで解放される何かもあった。


血の繋がりがなくても、受け渡していくときもある。

人の縁って本当におもしろいよね。




ひどく辛いとか落ちこむとか、ではないけれど、老いや病、自分ではどうしようもない流れのなかで、なんとかできることをしていくとか、どう死ぬかはどう生きるかと同じなんだなと感じたり、サポートしてくれる人たちの印象的な姿とか、父や母の言葉にならない絆とか。


深く繊細に心を掘りおこされるような時期で、ふと涙がでていることもある。単に悲しいとかではなくて、生きる不思議さ切なさ、めんどくささ、重たさ、素晴らしさ、愛しさ、みたいなものに否応なく触れてしまう感じ。


そんな心にしみて、さいきんなんどでも聴いてしまうこの歌。いいな。




ふつうに


家族が今週手術をするので、細々とした準備をすませつつ過ごしている。


執刀医である主治医は、頼もしく親身で、安心感がある。

しっかり話をしてから、信頼してまかせよう、と腹がくくれているみたい。

わたしもおなじ。


とはいえ、やはり静かな緊張はずっとつづいているし、いつものささやかな日常にたいしても感じ方がちがう。

繊細に、心のぐっと奥から触れているような。


わたしは負荷がすぐに肌にでるから、このところずっと腫れてて落ちつかないけれど。


わたしがどよよんとしてるより、少なくともおもて向きくらいでも、ふつうに穏やかにしてようと思う。

こういうときは、軽やかな冗談をいって笑わせるくらい余裕があるとよいのかもしれないね。雰囲気にのまれずに。


これは、フォーカシング的にいえば、緊張感や繊細さがあることをていねいに認めてその気持ちによりそいつつ、それに同化しないで、おもしろいことを考えたりする自分も認めて引きだすって感じかな。


この絵もそんな気持ちにさせてくれる^ ^

栗田淳一さん作

「心がアートをうみだしている」より

https://www.1101.com/yamanami/2019-07-13.html 


ほぼ日の連載ですが、今日の4回目の話もよかった〜〜〜。ぐっときた。

ここのアートたちも山下施設長の話も、へたれたわたしを力づけてくれる。

 4回目https://www.1101.com/yamanami/2019-07-14.html






わたしの肌の調子は、まだまだではあるけど、いちばん酷い時よりはずいぶん改善してるから、あるていどだけど動けてよかった。



こんな真摯な空気感は、いま空の太陽や金星が、土星や冥王星という重々しい星のエネルギーにふれていることからも読みとれる。


そういう重々しい気持ちになりやすいタイミング。


だからこそ、その雰囲気にのまれずに、わたしのなかの土星と冥王星をながめてみる。


土星と冥王星が伝えるエネルギーをしっかり味わってみる。





『心がアートをうみだしている』


せんじつ、ふとつけたカーラジオで流れていた番組では、ちょうど糸井重里さんがゲストだった。


糸井重里さんには、“ ほぼ日 ”から興味をもった。

ほぼ日の活動からは、わたしが目指したい生き方へのエッセンスがたくさんもらえて、人生の先輩として気になっている方のひとり。


だから、ラジオをつけたタイミングで、その方が招かれ登場する、というのはとてもうれしい、ツイテル感じ。


ほぼ日 の連載はおもしろいって感じるものがおおい。


いまハマっているのは、

知らない土地の雰囲気を味わう旅行記としても情景を描く文章がいいし、書いてる人たちのどことないユーモアや仲間感もいいなと思う。

「ネパールでぼくらは」

https://www.1101.com/nepal/index.html


そして、こちらのアート活動とその広がりがすごいなぁと感動してしまう。

画像でだけど作品をみて、子どものような感性(生命の輝きの純粋さ、のようなもの)を保ちつづけているんだろうなって思った。

「心がアートをうみだしている」

https://www.1101.com/yamanami/2019-07-11.html 



栗田淳一さん作

(上記の「心がアートをうみだしている」よりお借りしました。)



・教育の場(ネパールでぼくらは)、

・アート表現の場(心がアートをうみだしている)

どちらの連載も、

・人が安心してその人自身でいられる場づくり、

・ふさわしい場(物理的環境と理解しサポートする人たち)があるから、それぞれの可能性を育み表現できる、

というところがあると思う。


人とのつながりがさらに活動を育て、ひとつの場でうまれたものたちが、さらに広い世界に羽ばたいていく。

そんな空気感も好き。


その人らしさ:創造性の発揮、それを育み広げてくれる人とのつながり、っていうのは、やっぱりわたしがいちばん惹かれるキーワードだな。


わたしが心理占星術やタロットリーディング、フォーカシングという活動を通してしたいこともおなじ。


わたしのしている活動は、まずはそれぞれの人が、安心して本来の自分を表現するために、自分自身で環境をととのえる。


本音と向きあい、

あるがままの自分を知り、

それをいかせるスペースを内面につくり守る、

ことができるようになるためのサポート。


そんなことをあらためて確かめられた。


わたしはいまは家族のために動く時間がおおくて、忙しいせいか肌も腫れているので、なかなか思うようには出かけたり活動したりはできないのがもどかしくもあるのだけれど。。。


少しずつこの先がみえてはきているかな。








久しぶりの電話で

先日、東京のお友だちとすごく久しぶりに電話で話した。


彼女もアーティスト。

ステンドグラスなど、ガラスの表現者。


人生の先輩としてさすがだなーと思う面もありつつ、若々しくロックで気さくで素敵な人。


個展にいったとき、光と闇と、揺らめく影がうつくしく、しんと静かな気持ちになった。



自分の感じる世界を表現できるっていいね(^^)


その世界にはいるときには、目にはみえない響きのようなものもふくめて、そこにあるものたちをしっかりあじわえたらなぁと思うけれど。。


どのくらい感じとれているのだろうね。



わたしの身体が落ちついたら、宮崎に遊びにきてくれる予定。


そのときなんとなくわたしが言ったのは、あちこち出かけられるほど落ちつくのは、半年後くらいかなーと思う、と。

確かではないけれど、そんな気はする。


3ヶ月めどくらいで、あーこれまでよりはラクになったなあと感じるから。

あと6ヶ月ほどしたら大丈夫かもしれんと思ったの。


3ヶ月後でも今よりは動けるんじゃないかな、、とは思う。

刺激的なことはまだできないとしても。


(もちろん、もっとはやくよくなったらとてもうれしい。もどかしくて悲しくなることもよくあるけれど。焦ってもしようがなくて。)



宮崎の海や、自然、こだわりの素敵なお店をご紹介してみたい。



そういえば、もうゴールデンウィークだった。


楽しまれてる方もいらっしゃるでしょうし、


忙しくてなかなかゆっくり休めない方もいらっしゃるでしょうね。


少しでも心地よくお過ごしください。



私の肌の症状のこと

この話は、わたしが今、たぶんいちばんナーバスになってしまうことで、過剰に反応してしまうのもわかってる。

だからかな、いまの体調をうまく説明することも難しいのですが。


時にはちゃんと説明して伝えられたらなー思う。


周りの人が、この状態の私をただそのままに受け入れてくれたら(すっかり理解することはできないとしても)、気持ちがラクだからね。


今でも、周りの人たちが、ほぼそのままにこの状態を受け入れてくれてるって感じてはいる。

ただ、書きたくなったので書いてみる。



重たい話なので、興味のある方、余裕のある方だけお読みくださいね。



*****


私のいまの肌の症状は、脱ステロイドの後遺症で、肌が変形していてちゃんと機能できていないから、普通の人のようにバリア機能も働かなくて、いつも痛くてかゆくてしんどいって感じです。


脱ステロイドについてはいろいろ言われているし、ステロイドはちゃんと使えば悪い薬ではないと説得される。


けれど、その“ちゃんと” はとても難易度が高く、軽い症状の人はうまくいっても、アトピーの症状がでてしまった生活の改善や過度のストレスをなくす、などしなければ、アトピー反応は起こり続けるから、ステロイドを一時的にしか使わずに辞めることはむずかしい。


しかも、当時私がかかっていた医師は、生活改善などのアドバイスはほとんどなく、薬を使ってもよい期間をくぎらず、いつもただステロイドを出すだけだった。症状がおさまらず、どんどん強いものになっていった。

わたしも副作用のことなどあまり知らなかった。


だから、今、脱ステロイドをしたのがいけなかったかどうか、など議論のようなこともしたくはなくて。


ステロイドを使いすぎると、肌の機能が壊れるので、はじめのアトピーで苦しんだ症状(これですら相当つらいのに)が何倍にも酷くなったようなひどい痒さや痛みを感じ出す。


ついにはステロイドを使っても効き目はなくなり、肌は薄くなり赤く腫れただれ体液がにじみ服ははりつきます。

この時は気が変になりそうな痒みと痛みもでてきます。


当時は知識も多くはなく、ほかにしようもなく脱ステロイドを始めました。

肌はボロボロで離脱症状は想像を絶するほどきつくて最初の1年間は地獄のようでした。


その時の体験をすっかり書ききれることはないと思う。



考えてみると、今と同じ知識があっても脱ステロイドをしたと思う。

効き目もなくなり、肌も異常な状態になり、使い続けることはできなかったのだから。


さらに言えば、もっとはじめからやり直せるなら、ステロイドを使わず、環境(過度のストレスを感じていた仕事も含めて)生活改善、体質改善にとりくんだでしょう。


(ステロイドは、使い方がうまくいかなかった時の離脱症状の酷さからも、安易に使う薬ではないなと感じてます。


信頼できる医師と一緒に使い方を理想どおりに厳密に守れる症状の方はきっといいのだろうけれど。)



そんなこんなで酷い時期をすぎて、なんとか動けるようになって、まだ肌は普通にはなってはいなかったけれど、仕事もしたいこともあるし、できる限り普通に生活していました。


ただ、いつも痛み痒みがあり、疲れた時や季節の変わり目などには、しょっちゅう発作のように、あの酷かった症状が全部ではないけれどもどってくるので、とうとう耐えきれなくなり、もう一度ちゃんと療養して、すっかり普通の肌にしよう、と決心して、食事療法や入浴療法を再びはじめていまに至ります。


肌の力が弱っているから、刺激になることをなるべくやめて症状をおさえつつ、本来の自然治癒力を発揮しやすくする。



だから時間もかかるけれど、ステロイドを使っていたとき、そして離脱症状の酷いときのような、肌の奥から湧き上がるような吐き気におそわれるような痒みと痛みはずいぶんなくなりました。


いまは、状態がよいときや、緊張しているときは、数時間はふつうに過ごせるけれど、緊張が解けたあとは、どっと痛み痒みがでます。

肌には、赤く腫れてるところや傷が、まだいつもあるから。


入浴療法を再びはじめて、ちょうど4ヶ月目。はじめはリバウンドなのかな、いったん悪化したようになった。

ものすごく酷い時よりはましだったけど、やっぱり肌が赤く腫れ痒み痛みが激しくなった。


けれど、3〜4ヶ月ってひとつのメドみたいで、一段、階段を上ったくらい良くなってる気がする。

波はまたあるんだろうけれど。


壊れてしまった肌の機能をとりもどすのを待つのはほんとうにしんどい時がある。


けれど、本来の身体に戻りたい、と、ほんとうに願うので続けられる。


(酷い時には自然治癒力を使う治療法の医師の指導を受けました。いまも脱ステロイドをして本来の肌の力をとりもどす治療を研究し実践されている医師の本も読んでいます。)


少しずつ身体が力を取りもどしているのを感じるので、治るって信頼できている。

ただ焦ってはいけないなーと。

身体が必要とするだけの時間は待たなきゃなぁと思ってます。




とりとめもなく書いたけれど、ここまで読んでくださってありがとう(^^)


ラクな時間もずいぶん増えてきたし、気持ちはすごく元気ですよ。