『はなうた』


ファニーのワークでも、

個人セッションでも、

なんだろうなぁ、大切なのはひとつだけ。

自分の生命がほんとうは何を求めているのか、ちゃんと認めて寄りそう。

ほんとに、ただそれだけ。


生命はほんらいのあなたであるために、どうすればいいのかを、

生まれつき知っている。

だから、その方向ややり方があっていると、

安心、悦び、ワクワク、

快い緊張とチャレンジ精神、

などを感じるし、


あっていないと、

こわばり、冷たさ、

重たさ、息苦しさ、違和感、

なんかを感じる。


ほんらいの方向へ向く時は、

まわりから大変な努力をしているようにみえても、

本人にとっては成長をともなう、

心地よい登山だったりする。

まわりの景色も楽しみながら。


はなうたさえ、歌えるような、ね(^^)♡








都農神社


1日は、都農神社へお参りに。


近くの公園からみた海がまったりと柔らかく光ってきれいだった。


空も雲ひとつなく澄んで心地よい風がふいていて、

すっきりした♡



ときどき、こんな場所でゆったり過ごす時間もいいよね^ ^






くりくり頭のやんちゃワンコとメテオアートの天使

 

前回の記事のワンコ

 

 

 

わたしが「似ている〜!」と感じていたわたしのイメージの中の天使は、

こちらの絵の天使にそっくり。

ね(^-^)♪ ワンコと似てるでしょ?

 

 

 

こちらの絵は、メテオアートといって、

わたしが、閉じていく部屋のフォーカシングをして、

涙を流しているときに、

ふいっと目の前にうつされて、

見守られている感覚があって、

心が安らぎとても癒されたのだった。

(悲しみは背中から)

 

 

zoomを使ってオンラインセッションをしているとき、

音が出た人のアイコンが画面いっぱいに出るんだよね。

そのときのセッションでタイムキーパーをしてくださった

chimakiさんのアイコンだった。

(見る人をはっとさせる絵です。)

 

 

 

偶然と言えばもちろん偶然。

時間を告げるタイミングだったから、と言えばそう。

 

けれども、この絵に見守られている感覚を思い出すと、

偶然は必然だな、とわたしは思う。

 

友人のサロンの扉をあけたときにワクワクしたように飛び出してきて、

ずっと遊んでくれたこのワンコと出会って、

さらにそう思う。

 

 

父の葬儀の後から、わたしのイメージの中にいる天使は実写版なのだが、

この絵を生身の姿にしたような感じ。

そしてワンコはその実写版の天使を犬の姿にしたみたいよ(*^-^*)♡。

 

 

 

 

************

 

 

メテオアートは、

お名前を糸口に潜在意識を通して繋がり、

その方の光る部分を絵にする、そう。

 

9月いっぱいはお試し価格でしていただけるとchimakiさんのブログで知り、

すぐに申し込んだ。

もうすぐ届くかな〜♪すごくすごく楽しみ。

 

 

 

 

もしご興味がある方のために、申し込み先を貼っておくね〜♡

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『meteor art card』〜メテオアートカード〜   *メテオ〜流れ星✨

 

 

クリクリ頭の天使


父の告別式のあたりから、

胸苦しさや息苦しさがあって、

ずいぶんラクになったけど、

疲れたなぁ、、っていう時には、

なんだか気になるくらいなので、

診察に行ってきた。


肺も心臓も、何にもなくてきれい。

脈と心電図のグラフも、乱れもなく均一な波形できれい。


血液検査の結果は後日だけれど、

いちばんは、狭心症とか、心配していたので、

それはぜんぜん心配なくてよかった。



やっぱり、長い期間をかけて、

弱っていく姿を見守る、とか、

生命が終わるのを看取る、とか、

そうとうエネルギーをつかうことなんだろう。


パワーチャージが必要って感じ。


お気に入りの明るい色の服を着る、

華やかな口紅をつける、

などなど、あえてそうしたくなっているのは、

明るい色を身につけたり、

シックだとしてもおしゃれを楽しむって気持ちは、

イキイキとした生命力をとりもどす

助けになるからじゃないかな。


*****



髪も切りたくなって、

友人のサロンへ。

クリクリ頭のやんちゃ坊主がいたよ(^^)♪



ボール投げでひとしきり遊んで、

つぶらな瞳で見つめられたりして、

すんごい癒された♡



このワンコ、何かと似てるんだよな〜って感じてたら、

父の告別式の後から、イメージの中にあらわれだした、

クリクリ巻き毛の天使に似てるのだった。


その天使は、このワンコのように無邪気なやんちゃな雰囲気そのもの。

あなただったのね(^^)

見守っててくれてありがとう。

笑わせて元気をくれてありがとう♪

と言いたくなった。



低気圧スリーパー


強い台風が迫ってますね。

わたしの住む地域はかなり接近すると予測されているので、

最大級の警戒が必要です。

皆さまもお気をつけください^ ^


お気遣いのメッセージもありがとうございます。



*****



大きな低気圧のせいか、

その上、喪失、変化、緊張、の後の疲れのせいか、

最近のわたしは、いつにもまして眠たくてたまらない、ロングスリーパー。


おとといの夜、印象的な夢をみた。



*****


列車に乗っていて事故にあった様子。

と、状況把握があいまいなのは、

夢の中のわたしは、激突の瞬間のことは何にも覚えてなくて、

たぶん気を失っていて、目覚めたら、大破した列車の中にいた、から。


携帯で連絡をしてみると、

友だちか家族か、仲間のような人たちも、同じようや事故にあっているのを知る。


衝撃の感覚はあるものの、

わたしは無傷で、

他の人たちも同じく怪我などなかった。


わたしは壊れた列車を降りて、

ここから脱出するために、

何か乗り物を探しているみたいだった。


*****



わたしは、こういう印象的な夢をみたときには、

フォーカシングをしてみる。


フォーカシングは、自分の無意識とのコミュニケーション。

夢は、『無意識からの手紙』だから、

読み解くのにぴったりなんだよね(^^)


意味を分析するのではなく、

あらわれたイメージ、

感情や思い浮かぶこと、を

身体の感覚に触れながら、

丁寧に言葉にしていく。


だから、“読み解く” というより、

“ 感じ解く” という方がしっくりくるかな。



意味を分かろうと焦らず、

分からないことは分からないままにそのまま置いておく。

自然に分かることを言葉にしていく。

そうすると、必要な時間をかけて、その意味が腑に落ちてくる。



*****


この夢も、日中に、他の作業をしながら、歩きながら、つらつらとフォーカシングで感じていたら、

そうかぁと意味が分かってきた。


列車の事故は、父の死がわたしに与えた衝撃をあらわしている。


衝撃は大きいけれど、

激突の記憶がなく身体が無傷なのは、


長い闘病生活を通して、しっかり覚悟ができていたこと。

過去の父との関係の中にあった痛みを、フォーカシングなどを通して癒し、

最期の父に対して、わたしなりに、

心からの感謝を伝えられたこと。

父は父らしく生き切ったのだ、と感じられていること。


のおかげかもしれない。



連絡をとりあったほかの人たちは、兄弟姉妹たち。

それぞれ離れ離れに暮らしているから、

夢の中では、ちがう場所で事故にあった。



破損した列車は、明るい黄色をしていて、悲劇的な印象ではない。



「あらら!」といまわたしは、

これって卵の殻が割れるイメージに似てるな、

と気づいた。


喪失の激しい衝撃は、

あたらしいわたしの誕生の瞬間でもあるんだね。

言葉にしても「確かに!」としっくりきてる今。






そういえば、この夢の、卵の殻が割れるイメージ。

告別式の次の日に、

お御堂で理解した物語の中にも、

つながる部分がある。

http://chie909.jugem.jp/?eid=1047#gsc.tab=0 


長くなりそうだから、

その話は、また次の記事で(^_-)





低気圧スリーパーは、

この曲のタイトルのもじり。

嵐の中だけど、気分は爽やかに♡


告別式の次の日に


父の告別式の次の日の話。

なんだかいろいろと腑に落ちてきた。

しばらくこのあたりの話を書くかも。

今日の記事までで満足するかも。

どうかな。


*****



告別式の次の日、

わたしは、身体は疲れているものの、

どうしても、家からでてさまよいたい、って気分になっていた。


心のままに車をはしらせながら、

向かっていたのは、

告別式の会場になった宮崎教会だった。



お通夜から告別式、そしてその次の日も、


夜に降る雨と、

雨上がりの澄んだ夜明けと、

昼間は、大きな雲の影にところどころ遮られるジリジリと熱い陽射しと。


宮崎の夏らしい暑さ。

どこかカラリとした爽やかな気候に恵まれた気がする。




数年前に街中から海のそばに移転した教会は、さえざえとうつくしく。



モダンで明るい雰囲気を好んだ父らしく、

葬儀ミサは、カラフルな花と、

たくさんの賛美歌でいっぱいにした。









葬儀の終わった次の日の昼下がり、

お御堂は椅子が元にもどされ、

すっかり、いつものひんやりと静かな空間にもどっていた。



わたしはひとり祭壇の前に座り、

もの思いにふけった。

そうしたら、自然に、いろいろなことが腑に落ちてきた。

それは言葉にすると、不思議なことかもしれないけれど。

心が納得した。

家族やルーツや、

わたしと父の魂の約束というかわたしの役目とか、

そんな物語のような何か。





悲しみは背中から

 

父の葬儀が終わり、

まだこれから必要な手続きはたくさんあるけれど、

静かに過ごせる時間もできた。

 

 

 

いましみじみとふりかえり、

少し前に、フォーカシングで感じた切なさは、

(閉じていく部屋

http://chie909.jugem.jp/?eid=1035#gsc.tab=0 )

わたしの感覚だけでなく、

この世を去ろうとしている父の意識も重なっていたんじゃないかと感じてる。


 

 

この時のフォーカシングの中でわたしは、

去りゆくものへの未練はないけれど、

その時が来たんだね、という理解と受け入れ、

もう少しだけこうして名残を惜しんでいたい、という愛しさと切なさ、

そして去りゆく時の流れへの、もの悲しさと感謝、を感じていた。


 

 

このフォーカシングセッションのはじまりには、

わたしは、まだ、自分の中にそんな悲しみがあるのに気づいていなくて、

ただ、何かソワソワと落ち着かない、

ちょっとしたことでイラッと傷ついてしまう、という感覚だけを感じていた。

 

そのソワソワやイラッとした感覚を認め寄り添っていると、

ふいに、わたしの背後から何かが呼びかけている気がしてきた。

 

わたしの背後から呼びかける何ものかに意識を向けていると、

その様子がだんだんわかってきた。

 

 

わたしの背後の、ものすごく遠くから、

それは小さな窓を開けて、

一生懸命に何かを叫んでいた

その声はわたしの耳には届かないのだけど。。

 

でも、ああ、そこにいるんだね、

何か叫んでいることに気づいたよ、

と伝えると、

その声が聞こえてきた。

 

正確にいうと、何か言葉が聞こえたわけではなく

ああ、これは悲しみだ、

悲しみがわたしに遠くから呼びかけているんだ、

とありありとわかった。

 

 

その後に、あの閉じていく部屋のイメージがあらわれ、

わたしは、切なさ、名残惜しさ、愛しさ、悼み、

そして悲しさを感じながら、その部屋の中をゆったりと歩き、

実際のわたしも涙を流して泣いていた。

 

わたしはセッションの中で、

こんなふうに泣くことはこれまでほとんどなかったのだけれど。。

涙は自然にあふれ、

ただあるがままに見つめ寄り添ってくれるメンバーに見守られつつ、

時間は静かに流れ、心が満たされ落ち着いた。

ソワソワや傷ついてイラッとするような痛みはなくなった。




 

***********

 

葬儀の前からずっと、胸苦しさと背中の痛みがあった。


こうして静かな時間ができて、その痛みに意識を向け、寄り添っていると、

また悲しさと涙があふれてきた。

その感情のままに感じていると、胸苦しさと背中の痛みはやわらいだ。

 

しっかりと悲しめない間

感情を身体が受けとめてくれていたんだなぁと思う。

 

***********

 

 

 

身体は朽ちても、魂の記憶はこの地上の記憶へと溶け込み姿をかえて残り、

宇宙からまいおりたスピリットは生命の源へと還っていく。

 

死ぬことへの怖れはないけれど、

この身体で、この縁で生まれ落ちたこの人生:限られたただ一回の宝物のような体験を、

大切な人たちと共に、大切に過ごし、

怒りも悲しみも絶望も喜びも楽しさも、、、

すべての感情をあるがままに感じ切り、生き切ろう、とあらためて思う。

 

 

こんな音楽が胸に背中にしみて、

自然に流れる涙が心を安らがせてくれる。




 

 

 

 

 

 

 

 

 

父が他界しました


4日前に父が亡くなりました。


闘病期間が長かったので、

覚悟はしていましたが、

現実的な心の準備とは、ちがう次元でわたしは、

予想以上の衝撃をうけている、気がします。


人生を生き切った父への哀悼と感謝の想いとともに、


ひとりの人の人生の背後で流れつづける大きな生命のうねりのようなものへの気づきと、

生命のもつ重みとに、

強く胸を突かれています。




人生の背後にあるものを、 “ 歴史 ” と言ってしまえばまだ扱いやすくも思えるけれど、


そうではなくて、

この生命が脈々と受け継いできたルーツ、

そしてもっと大きな全体の生命の流れが、過去にとどまることなく、うねりながら、からまりあいながら、変容しながら、ひとりの人生の中に生き物のようにうごめいているのだなぁと、感じています。





それと告別式のあと、出棺を見送る時。

5歳の姪を真ん中にはさんで手を繋ぎ、

妹と義妹と3人が、見送りの列の最後を歩いていました。



悲しい時には大泣きし、

うれしい時にはキラキラと笑う。

いつも、あるがままに内がわからあふれるものを表現するイキイキとしたこの姪っ子は、

わたしにあたらしい時代の生き方を教えてくれています。



そんな彼女がふたりの女性と手を繋ぎ、列の終わりを歩く後ろ姿をみていたら、

父の死は、ひとつの時代が幕をおろしたことのあらわれだと感じました。

ひとつの時代が過ぎ去ろうとしているのを見送っているみたいでした。




太平洋戦争からいまこの時まで、

(もしかしたらもっと以前からの争いの記憶も)


たくさんの人が過去の痛みと悲しみとを心の奥底に抱えて生きてきたんじゃないかな。



それは戦争の記憶ではなくても、

あるがままの自分で生きることを許されない抑圧と、それへのあがきや抵抗、無力感と、

自我を殺すような我慢と。

そういったものだと思います。


このパターンをもう多くの人が手放すときなんだろうね。

晩年の父も、まるく穏やかになり、

彼自身の持っていた葛藤を癒していたように思います。




過去の痛みのパターンを無意識に次の世代の意識へ植えこみつづけていく時代はもう終わったのだ、と心から感じたのでした。




そしてその終わりにはすでに、

新しい時代の生命が育まれて、

新しい風を吹かせているんだよね。




お通夜のはじまるまえ、

空を見上げると、

不思議な光がうつくしかった。








スペースがあるのは心地よい


ずっーーーっと欲しかったワークスペース、

思い立ってようやくつくったら、

すごくよい感じ。


脇に、定規・鉛筆・カッター・ハサミ・ペンチなどの道具の置き場もつくった。


ちょっとした物づくりや修理など、

ふと考えたことにスムーズに、すぐに取りかかれて気持ち良い(^^)♡


引きこもり生活がますます充実しそう。



1日の終わりには、キャンドルを灯して、ゆったり心を静める。


朝日と虹と猫と


今朝は早起きして海へ。


わたしと同様、この2、3日に、体調がモヤモヤとしていたという

タロッティスト養成講座の方とお話してたら、

海へ行きたいねぇとなった。


朝日の輝きがまぶしい。


この後すぐに雨に降られたけれど、、、



おかげさまで

ほら^ ^♪




モクモクと灰色の不穏な雲の中の、

七色のクリアな輝きがそれは綺麗にみえた。






表情や佇まいが、わたしの可愛い♡のツボにぐっとくる猫も見かけて、満足の日(^^)