きんきょう その6

皆さま、お元気ですか。


1月はわたしの身体にとってけっこうヘビーな期間。


今年もそうでした。


(それに、今年は星まわり的にも、シビアな空気感でしたしね。)


それもあって、もうすこし、身体が治ろうとする力を後押ししようと、新年そうそうあらたなアイテムを取り入れてみた。


それでずっと肌に好転反応がでていて、まぁそれも辛いのですが、身体そのもののパワーは強まった感じで、よい方に動いているんだと体感があったので、なんとかのりきり、今日あたりから、ようやく落ち着いてきたかな。


油断はしないけど、症状がラクになると、とてもほっとする。


身体の回復って、かすかな変化はあるものの、しばらくはほぼ横ばい状態が続いて、あるタイミングでぐっと上がるように思います。


勉強とかなんでもそうだろうか。。


横ばいの時は、しんどかったり、もどかしくて焦ったり、つかれてやる気が保てなくなったりしやすい。

ここをのりきると、ぐっと上がる時がくる。



すこしずつ改善している。

でもステロイドなんかで痛みすぎてしまった肌自体はまだ普通になってはいなくて、修復するには時間が必要。

ゆったりいこう。

いたみかゆみもあるので、まだ療養はつづきます。疲れると悪化するし。

身体はムリしないペースのまま過ごします。


気力は余裕がでてきたので、ゆったりしながら身体を使わずできることをしよう、とまずは英会話をきき流すように、聴いてます。


まだリスニングしての理解度は横ばいだけど、ここをのりきるぞ、と書いておく(とできる気がするから 笑)

きんきょうその5

こんばんは。

すっかり寒くなりましたね。



日にちを数えてみたら、体質改善のために徹底的な食事療法をはじめて、ちょうど100日目は、12月22日。


ちょうど冬至の日にあたるのでした。

キリがいいね。


まだ続けるけれど、身体がかわるのには、最低100日は必要、ってことで、ひとまず、そのラインにはたどりついた〜。。やっと。



思えば、夕方から夜のはじめにかけて貧血みたいにしんどくなりがちだったのがなくなったし、症状がまだ強い腕や足以外の、顔とかの肌は、ツヤツヤで、とても元気にみられる。(声とか気力とかはじっさいに元気だと思う)


腕と足の症状は、ほんとに少しずつかわっていってる感じなので、あせらずよいと感じることはして、見守り。


ひとまず冬至まえはデトックス時期だから、その流れにあわせて、ゆったり毒出し、心も身体もスッキリさせよう。






フォーカシングのオンラインでの勉強会は、わたしが引きこもりなのもあって、むしろ充実してきてます。


体調が落ちついている時間がながくなってきて、できることが徐々に増えてきたのもあるでしょうね。


毎度、自分の心と身体の感じにフォーカスしつつ、そうなのかー、とあらためて腑に落ちるのがおもしろい。


「変えようとしないこと。あるがままをただみとめ寄り添うことで、‘それ’は、そのものの真実の姿になっていく」というのが、最近の腑に落ちフレーズ。


‘それ’って、自分の中の感情や身体の感覚などがしめす、フェルトセンス、のこと。


フェルトセンスは、はじめは扱いにくい感情のように思えても、あるがままにみとめ、寄り添うことで、姿をかえ、生命からの、より本来の姿で生きるためのメッセージを伝えてくれる。


メッセージを得ることが目的ではなくて、ただあるがままをみとめ寄り添う、こと、がすべてなんだけどね。



そんなんで、症状のある身体をかえようかえようと焦らずに(なるべくだけど)、いまのあるがままをみとめ寄り添う、というのも少しずつできはじめた。


そうすると、ここにはそんな感情があったのか、、、

とけなげに感じることもある。


身体の感じをフォーカシング的に(判断しない、アドバイスしない、心をひらいてあるがままに)聴いてもらってると、その間はいたみかゆみを感じなくなったりね。



そんな風に過ごしているせいか、いろんなことが愛おしく思えてくる。


ふいに過去の記憶を思い出した時、

その時の自分が感じていただろう気持ちを、そのものに同化するのではなく、そばに寄り添って、心をひらいて見つめてみたり。


あの時わからなかったことが今わかるような気がする。



こんな風に過去の自分をみつめなおして、あらたに生まれかわるような雰囲気は、今回の冬至の雰囲気にあってるなぁ。


過去の自分を愛おしんで、成長したいまの自分を信頼する。




最近は、身体の療養のことばかり書いてますけれど、見にきてくださってありがとうございます(^^)


このいまも、また愛おしい記憶になって未来につながるのでしょう。


今ここ、がすべてを創りだす(過去のパターンに縛られずに今ここでそうありたい自分であるってこと)から、つながるっていうより、あたらしく生まれかわったわたしが、また未来から、いまのわたしをみつめる、のかな。




*****


そして、その後タイムリーに読んだこの記事。

https://ameblo.jp/holistetique/entry-12425980780.html

バニラさんのブログは前から参考にしています。

あらためてリラックスして長い目で身体をみつめようと思った。


またきっと読み直すのでここにリンクしとこ。

身体の自然の摂理のリズムがあると知りつつ、それにとらわれずガラリと変わる、ってこともあり得ると思ってる。

それは意識をどのくらい自由にするかなんだろうね。






きんきょうその4

少し前に通った道沿いのコスモス畑。


すっかり秋も深まってきましたね。

冷えてきたので、わたしは薬草風呂を再開しました。

いまはドクダミ湯。


身体の内側が整ってきたせいか、外側からの効き目も前より感じます。

薬草って興味ある、ドクダミ、ヨモギ、ビワ、とくに身近で採れるもの。


自然の原っぱが身近にあれば、そこに住む病気の人に必要な植物が生えてくる、という。

家の庭には、自然に生えたドクダミがいっぱい。


わたしはずいぶんと気持ちは元気で、肌も前よりずいぶん落ち着いてきました。

けれど、いたみかゆみを我慢しないでいられる、のを普通にするには、まだもう少しかかるかなぁ。


腕と足の肌はまだ本来の姿ではなくて、ちょっとムリをするとかゆみいたみが我慢するのも辛いくらいになる。

ので、まだまだゆったり療養メイン。


美容院、映画、ステキなこだわりのお店、友だちに会いに、行きたいところも多いのだけど、症状は緩和されたけれども、我慢しない、我慢レベルも下げたので、まだお預けです。(無意識に慢性化してしまった我慢グセを手放すのも、全体的な意味での体質改善の一部だと感じてるから)


行きたいなーと思ったら、ナチュラルにさあ行こうと動ける身体になるまで頑張らないをがんばろう。










きんきょう その2

すっかり秋らしくなりましたね。

夜風が冷たい。

お元気にお過ごしですか。



わたしは、ゆったりに気をつけつつ過ごしてます。


これまで長い間、ほどほどで良しとしてきてしまった肌の調子を、もっとも良いところまで落ちつかせるため。



そして、体の中、腸や副腎などの機能を整えるために、過剰な刺激になるものは摂らないようにしてる。


これまでも食事は気をつけてはいたけれど、まだまだゆるやかだったなぁと。


外食など人と一緒だったりすると、あんまり気にしすぎると楽しめないな、という方が優先してしまったり、そこまで色んなことが刺激になっていたとは知らなかったりもして。


かなりいまは徹底してます。

少なくとも100日間は守るつもり。


今ちょうど1ヶ月くらい。

肌の底の方は落ちついてきた。


肌の底には、ずっーと熱っぽいようなイガイガした感覚があり、これは季節の変わり目、疲れ、体温が上がる、とかちょっとした刺激ですぐひどい症状になっていつも気になってたけど、それがだいぶ落ちついたかな。



摂らないもの

調理油(植物油)、発酵してない豆、種、乳製品(バター以外)、小麦粉、カフェイン、白砂糖、添加物

ナス、トマト、じゃが芋、ピーマン、パプリカ、唐辛子


ということで、食べられるものを見つけるの大変なんだけど、食べられる美味しそうなものを探すのが楽しみにもなってきた

(^.^)



あと、最近、フラの衣装のお直しを頼まれて、ずいぶん久しぶりに裁縫をして、なんだか楽しかったな。


7年ぶりにミシンを使ったけど、滑らかに動いてくれてうれしかったし。

少しまえにミシン用の机を作って、それがどっしりして幅もちょうどで、とってもいい感じ(^-^)


裁縫は、ずっとしてなかったから、忘れてないかな、と思ったけど、頭で考えるより、手はスムーズに動いて、身につけたものって忘れないものだなぁ、と我ながら感心したりして。


ただ、日にちがあんまりなく、寝不足になりつつ、夢中になってしまったので、ちょっと体調を崩してしまった。ゆったりできるようにしなきゃなーと反省も。




裁縫も星読みも、“楽しみ”をベースにできるようになったなぁと思う。

(ムリしないようにだけ気をつけてね)


これまでも楽しかったけど、思えばどことなく“修行”めいた感じがベースだったから。



しっかり身について自分のものにして、これからが、楽しんで創造的につかえる時期なんだろうな、という実感が、なんだか静かにトキメク感じで新鮮。あたらしいわたしになったという気もする。


まだしばらく引きこもりは続きそうだけど、体のペースを大事にしつつ、楽しみつつものづくりしたり、星読みしたりタロットしたり、してます。

もっと落ちついたら星空観測にも行きたい。

宮崎も星空がきれいなところがあるからね。



これは夏の終わり頃の日南海岸。


この日はただ家の近くに買い物に行くだけのつもりだったのに、ふいに海がみたくなり、そのまま海岸へ。


いつでも海はいいね。

空もなんてきれいなブルー。


それまではほとんど遠出してなかったから、めずらしいなーと思ったら、ちょうど火星が順行にもどった日だった、おもしろいよね。


きんきょう

今月はじめに宮崎に引っ越しました。

実家です。


家族の事情もあるし、わたし自身も今は宮崎のエネルギーがあうなーと、2月に帰省したときに感じていたこともあります。

急展開ではあったけど、自然に心が決まりました。


で、引っ越したばかりのときは疲れがでてボンヤリしていて、いまは季節の変わり目と環境の変化とかさなったせいか、肌が不安定で調子が悪く、必要最低限いがいはほぼ引きこもりです。


焦りもあるけど、落ちついて気持ちを感じてみたら、こうやってゆっくりしたかったのかもと思う。


だから、焦る気持ちだけに引っ張られずに、体のペースにそって過ごしています。


遊びましょうといいつつ、ご連絡できなくて。

気遣ってくださるみなさま、ごめんなさいね、それとありがとうございます。



お向かいの中村さん


ラインで兄弟姉妹カイギみたいなのしてて、兄が話のついでに送ってきた “ 中村さん ” 


ほっこりし過ぎるのでお見せしたくなった。



これなにタヌキか?と問うわたしに、

いやお向かいに住む中村さんだ、とトボけた調子で言い張る兄 笑


ふつうに会話にのって、「中村さん、お風呂に入ってないんじゃない?」と姉。冗談におうじつつ、コメントが綺麗好きの姉らしくてまた笑える。


動物を擬人化して、お話を膨らませていく想像力。

ちょうど獅子座のベアトリクス・ポター(ピーターラビットの生みの親)のことを調べていたから、そのことともつながっておもしろかった。


兄の水星(考え方、コミュニケーション)は獅子座。


獅子座の想像力と創造力。

その感触がある気がする。



ちなみに、綺麗好きの姉の月(感情、素の性格)は乙女座。



恥ずかしがりやで夜にお仕事してるけど、お天気の良い日にはよく日向ぼっこしてるらしい中村さん。

たしかに毛がくすんでるけどね、可愛い。





ささやかだけど幸せなこと

わたしは、タロットリーディングは、ウェイトスミス版をつかっているけれど、自分のパスワーキング(タロットカードの絵柄などを通して、湧いたイメージからメッセージやストーリーを描くこと)には、このごろはトートタロットをつかってる。


わたしの知性のつかいかた、『どうすれば愛をもって明晰に知性を発揮できるか』トートタロットで10枚引きのパスワーキングをした。


このパスワーキングは「ああそうか!」と腹におちる感覚で、とてもおもしろかったし、なにより、心の奥に重しのようにぶら下がっていたものをおろせて、「なんとありがたい!」と思えた。


つっと背伸びして手を伸ばし、引っかかっていたところから重いものをおろせたようで、すごくホッとした。



わたしには、スーッと貫くまっすぐな意志を、四方八方から曲がった剣のような思考が突き刺してジャマをする考え方のクセがある。


「あーでもないこーでもない」と心配や迷いが、ほんらいのクリアな意志を傷つけボロボロにしてしまう。



このクセは、これまでもフォーカシングやパスワーキング、星を通した自分との対話を通して、少しずつなくなっていた。


最近飲んでいるフラワーエッセンスが、あとおしして、さらにすっきりと軽やかになっている実感もある。(これは、いまどうしても処方してほしい!と思った。そしてしてくれる方とちょうど話していた。)


このタイミングでの、知性についてのパスワーキング。

全体的になんだか特別なメッセージをとらえた気がした。



そのなかで、すぐに具体化しておもしろかったメッセージのひとつ。


『わたしの知性を愛をもって明晰につかう助けになるもの』

ここに、The High Priestess(女教皇)がでた。


・ゆっくり内観する時間をとる

・自分のインスピレーションを信じる

・表面的でなくものごとの本質を感じとる


など浮かんだ。

そして、女教皇の足元にある、豊かな財宝のイメージが、つよく訴えかけてきた。


・物質、豊かさ。“精神性の高い道具を使いなさい” と浮かぶ。


精神性の高い道具。。。

その用途について考えぬかれ、丁寧につくられたもの。

わたしのやりたいことをスムーズに形にしてくれるもの。

そんな気がした。


使い手のことを考え、素材の声を聴きながら、丁寧につくられたと感じられる道具って、昔から好きだ。

その姿勢の底には愛があるしね。





*****


そんなことは、おもて向きの頭ではすっかり忘れていた、先日。

潜在意識は忘れていなかった。


わたしは、別の買い物ででかけたのに、ふと電気屋さんに入り、プリンターの棚のまえにいた。


「そういえば、スキャナーが壊れてて、買い替えようと思っていたんだった!」(すぐに使わないから後回しにして忘れてたけど。もうすぐ使う。)



そして、親切な店員さんと、ほしい機能のことをいろいろ話して、しっくりと納得したものを買った。



給紙と紙のでてくる場所も、使いやすくて、プリントしてみて、速さとキレイさに感動した〜!(これまで使っていたのが古い型だったから。)


なんて心地よい。そして、作業がしやすい。

アイデアもこれまでよりもすいすいと浮かぶ(気がする)

形もうつくしく、その機能とあいまって、見てると心が落ちついて、幸せ。



なんでもっと早く買い換えなかったんたろーとも思ったけど、いま幸せなのでいいのだ。この感動を味わいつつ、レポートもすいすいと書けるのでは、と、思う。(いや書ける 笑)

書くことが、まえよりも楽しみになっているのは本当。これはプリンターを買うまえからだけど、加速した感じ。





******


潜在意識はいろんなことわかってて教えてくれようとしてる。


タロットでも、星読みでも、フォーカシングでも、夢読みでも、自分の心の奥と対話するためのツールはたくさんあるし、気に入ったものを日常のなかで、うまく活用するのはいいよね。

心の奥にあるものを、なんらかの形で意識してまず言葉にすると、現実化がはやい。


繊細に力強くエネルギーをととのえてくれるフラワーエッセンスも、今回ますますよいなぁーと、生活にとりいれたいと思った。






夏バテで鬼の洗濯岩

最近は夏バテなのか、めずらしいことに食欲がそんなにない。


ぜんぜん食べられないわけじゃなくて、いつもより食べたくならないだけだけど。。

(ぜんぜん食べられないってほとんどない(°▽°)



このまえのフォーカシングでは、いくつかイメージがでてきたけれど、おもしろかったのは、わたしの体の中がうす暗くて、それを感じてたら「あっ、いま省エネモードなんだ!」とひらめいたこと。


どうりで最近は、なんとくおとなしい(自己申告)気が。

あせらず、することを順番にこなしながら、ゆったり過ごそ、っと。



こんなときは海をイメージする。


大好きな宮崎の日南海岸♪

これは、鬼の洗濯岩と青島神社






夕立、そして何かかわった


昨日の夕方、空が曇って、大粒の雨がポタポタきたと思ったら、すぐにはげしい雨にかわり、大きな雷もおちてきた。


とても近くに聞こえる雷の音には、飛びあがるくらいびっくりしたけれど、1時間もしたらすぐにあがり、また太陽が照りはじめた。




昨日の昼すぎまでは、その前の夜の夢のつづきか、モヤモヤとした感情や記憶、そして、不安な予想図などが胸にあふれて、不安定な気分。


はげしい夕立と雷は、そんなモヤモヤを洗いながし、妄想的不安をうち砕き、すっかりスッキリ。


一夜あけた今は、さらに、まっさらな気分。あたらしい自分になったみたい。


あたらしい自分、ともいえるけど、はっきりと見えなくさせていたくすんだカバーをとり去ったような感じ。

ずっとわたしはわたしだったけど。


もっと澄んだそのままの本質で受けとめられて、再会、した。


最近、聴きたくなってよく聴いてる『See you again』

あらためて歌詞を読んでみたら、今の気持ちにしっくり。



あたらしい意識でとらえなおしたわたし。

昨日の夜から今朝にかけて、身になじんできたみたい。


海王星の逆行とかさなるタイミングでね。

その時刻表でいうならば、これから約半年間をかけてじっくりと、あたらしいわたしとさらになじんでいくのかもね。

歌をうたう人


星のうごきを読むって、命の歌に耳を澄ませること。


と頭に浮かんだ。


なんだか詩的でステキな言葉。


とニマニマしてたら、ふと気がつくと、お隣の棟の留学生が、ギターを弾きながら歌をうたいはじめていた。


まだ明るい夕暮れ時。



姿を見たことはないけれど、彼は、ときどき、わたしのしる限り、1ヶ月にいっぺんくらい、中庭で弾き語る。


ギターをかき鳴らし大きな声でのびのびと。


この前も、今日のように気持ちよく晴れた昼下がりだった気がする。



あー、歌いたい、って気分になったときにギターを片手に外に出てくるんだろうね。


それがまたよい選曲なんだ。

歌い方も声も素直で、いいなと思う。

知らない歌が多いけど、聴きいってしまう。


たった今は、途中に語りが入るタイプの歌。

その語りも照れたりせずに、自然に心のままに、って感じ。



歌いたくなって、緑でいっぱいの公園みたいな中庭に出てきて、歌いたいだけうたう。

体いっぱいに生きてるって感じがする。