かえってくるペンギン

 

助けてもらった男性に、毎年数千キロ泳いで会いにきていたマゼランペンギン の話。

 

CBC News

https://www.cbc.ca/news/trending/dindim-penguin-1.3487668

 

この話を紹介していたブログはこちら

https://ameblo.jp/nomadodiet/entry-12433213904.html 

 

 

ブラジル、リオデジャネイロの沖合にあるグランデ島に住むJoaoさんは、2011年に、自宅近くの浜辺に打ち上げられたマゼランペンギン をみつけた。

そのペンギンは原油にまみれ、飢え死にしそうになっていた。

 

Joaoさんは、そのペンギンを保護し、Dindimと名前をつけて、体力がもどるまで、毎日餌をあげていた。

 

そして、元気になったDindimを海へかえそうとするがなかなか言うことをきかない。

 

しょうがなく、ボートで沖まで連れて行き海に放して浜辺に戻ってきたら。。。

 

なんとDindimは、Joaoさんのボート小屋の前で待っていた(゚o゚)

 

それから11ヶ月間、Dindimは、Joaoさんと一緒に暮らし、ある日海に帰っていった。

 

Joaoさんは、Dindimは故郷にかえり、もう自分のところにもどることはないと思っていた。

 

が、

数ヶ月後、Dindimがもどってきた!

それから毎年、6月〜2月の間、DindimはJoaoさんのところにもどり一緒に暮らすようになったという。

 

*****

 

マゼランペンギン の生息地はアルゼンチンとチリの海岸で、ブラジルのJoaoさんの家にもどるには、3000キロ〜数千キロは泳がなくてはならないんだそう。

 

6月、Joaoさんの家があるグランデ島をめざして泳ぎはじめるその瞬間。

Dindimの身体のなかには、どんな感覚が生まれているんだろう。

 

知能が高くても、例えば「恩を返す」とか理屈にとらわれたりはしないと思うから、何か純粋な感覚が身体のなかに湧いて、それに素直にしたがうんだろう。

 

もともと野生の生き物だからなおさら、ただ安全に生きるという本能をこえた(ある意味危険な)行動をとってまでもどってくる姿に、なんだか不思議さと愛おしさを感じてしまう。

このちっこい姿♡

 

 

 

永遠の今

この前の、オンラインフォーカシング研究会で、「今、この身体を感じること。それは永遠につながる」というような話になった。


フォーカシングでは、いま身体がどう感じているか、を丁寧に感じて、言葉にしていくことで、いま必要なことが分かっていく。


いま感じていることを丁寧に、というのがとっても大事。


たとえば、よくある症状だから、といつも同じ表現であらわしてしまうことってあると思う。


例えば、緊張した時に、「喉がつまる」とか。


この前は、喉がつまる、感じだったとしても、同じような症状だと頭で判断して、同じ言葉をくりかえす、のでは、“今”の身体を感じているわけじゃない。


今の身体はどんなふうだろう。。。内側に意識を向けて、心をひらき、頭での判断なしでただ感じて、それを丁寧に言葉にしてみる。


今の喉の感じは、実は、「つまる」はピッタリではなくて、「締めつけられる」方がしっくりくる、かもしれないよね。



口にする言葉は、整った言い回しである必要はなく、むしろ、身体の感覚を探りながら、話がとぎれとぎれになるくらい言ってみて感じて言いなおして、というように、ピッタリの言葉を探すことがキモ。


整った言い回し、というのは、すでに明らかにされた過去の情報なので、無意識と顕在意識の境目となるきわ:“エッジ” に触れることはない。


エッジに触れる言葉を見つけることこそ、本当に必要なメッセージへと身体と意識をひらく鍵なんだ。


過去でも未来でもなく、ただ、今、ここに在る、身体(それが伝えるものは、生命が生きようとする力、なんだと私は思ってる)を感じる。


それがすべて。そして永遠につながる。


*****


という、フォーカシングのやり方や、そこに見いだす、人の身体や心の不思議さやすごさ、については、いつもいくら語ってもフォーカシングラブが溢れてしまう私たちなのですが 笑


せっかくだから研究会で、腑に落ちたことなど、お仕事用のホームページのブログの方にちゃんと書き留めたいなーと思ったりもしてます。


*****


今日書きたいなーと思ったのは、「永遠の今」というフレーズで思い出したこと。



大学生の頃、スキューバダイビングクラブに入っていて、夏の合宿は、沖縄の離島に行った。


石垣島のビーチダイビングの時。

浜辺から、浅瀬になっている珊瑚礁のリーフを沖にむかって延々と歩き、深い海がはじまる切れ目にたどりつく。


そこから、紺色にみえる深みに、グーンと潜る瞬間は、何が出てくるのかわからない怖さも一瞬あるのだけれど。


天気が落ちついていて、濁りのないタイミングの南の海は、透明度が高く、目が慣れてくると、真っ白い砂に太陽の光がゆれて、とても綺麗。


岩場の陰には色とりどりの魚たち。



その、青い青い水の空間のなかで、不意に、ああこのまま時がとまってもかまわない、というような気持ちになったことがある。


腰につけたウエイト(重し)や、酸素のタンクの重さ、そして、泳ぐ姿勢や呼吸の仕方など、ちょうどうまくバランスがとれて、ふわぁーと浮遊する感覚になっていたのもあるだろうな。


浮かないように、または沈まないように、と力む必要がぜんぜんなくて、とてもとても心地いい。


何にもとらわれてなく、ただ、そこに浮かんでいる私。

私なんだけど、私でもなく。

まわりの青い空間そのものと隔たりなく、溶けこんでいるかのような。


その感覚は永遠の今、といえるものでもあったなーと。



それと、

すごーくよい音で、心地よく感じる音楽に包まれるのも、その浮遊感に似た気持ちになる。

ああ、ずっとこのままこうして聴いていたい、ってね。









日本語ってむずかしい

日本語ってむずかしいんですねー。

そうだろうと思ってたし、自分自身も敬語や熟語など、ちゃんと使いこなせてるかはあやしいんだけど。


日本語を学ぶ外国の方が、試験で真剣に書いてしまった回答が、おもしろすぎた。

大変ですねー、とねぎらいたくなる。

そして答えがどことなく可愛い。


楽しい記事だったのでここにもリンクしとく。

https://ameblo.jp/rumicommon/entry-10033740439.html 





2018年ありがとうございました

今年も残すところあと数時間。

2018年、よい年でした。


体質改善優先で引きこもり、

できることが少なく、

落ちついて過ごせる時間も限られている。


だからこそ、活動もいま必要なことだけに自然に絞られてきたのは、わたしにとってよかったなぁと思ってます。



このブログを覗きにきてくださってありがとうございます。


2018年はどんな年でしたか?





わたしは、“言葉” って昔から好きなのですが、これまでは、あらたまって文章を書くこうとすると、重たい気分になって、なかなか進まないところもありました。


やろうとするのに、なかなかできない、ってことにも理由はあって。


落ちついて時間をかけてフォーカシングをして、自分のホロスコープの特徴とも照らし合わせて理解して、それが何なのかようやく腑に落ちてきたように思います。


文章で表現すること、2019年は、さらにのびのびと試してみたいです。



そして、もっと体調が落ちついたら、やりたいと思うこといろいろやってみよ、とあらためて思う年の暮れ。

身体の変化を焦らせるつもりはないけれど。

それもまた必要な時間だし。




よい年をお迎えください。

きんきょうその5

こんばんは。

すっかり寒くなりましたね。



日にちを数えてみたら、体質改善のために徹底的な食事療法をはじめて、ちょうど100日目は、12月22日。


ちょうど冬至の日にあたるのでした。

キリがいいね。


まだ続けるけれど、身体がかわるのには、最低100日は必要、ってことで、ひとまず、そのラインにはたどりついた〜。。やっと。



思えば、夕方から夜のはじめにかけて貧血みたいにしんどくなりがちだったのがなくなったし、症状がまだ強い腕や足以外の、顔とかの肌は、ツヤツヤで、とても元気にみられる。(声とか気力とかはじっさいに元気だと思う)


腕と足の症状は、ほんとに少しずつかわっていってる感じなので、あせらずよいと感じることはして、見守り。


ひとまず冬至まえはデトックス時期だから、その流れにあわせて、ゆったり毒出し、心も身体もスッキリさせよう。






フォーカシングのオンラインでの勉強会は、わたしが引きこもりなのもあって、むしろ充実してきてます。


体調が落ちついている時間がながくなってきて、できることが徐々に増えてきたのもあるでしょうね。


毎度、自分の心と身体の感じにフォーカスしつつ、そうなのかー、とあらためて腑に落ちるのがおもしろい。


「変えようとしないこと。あるがままをただみとめ寄り添うことで、‘それ’は、そのものの真実の姿になっていく」というのが、最近の腑に落ちフレーズ。


‘それ’って、自分の中の感情や身体の感覚などがしめす、フェルトセンス、のこと。


フェルトセンスは、はじめは扱いにくい感情のように思えても、あるがままにみとめ、寄り添うことで、姿をかえ、生命からの、より本来の姿で生きるためのメッセージを伝えてくれる。


メッセージを得ることが目的ではなくて、ただあるがままをみとめ寄り添う、こと、がすべてなんだけどね。



そんなんで、症状のある身体をかえようかえようと焦らずに(なるべくだけど)、いまのあるがままをみとめ寄り添う、というのも少しずつできはじめた。


そうすると、ここにはそんな感情があったのか、、、

とけなげに感じることもある。


身体の感じをフォーカシング的に(判断しない、アドバイスしない、心をひらいてあるがままに)聴いてもらってると、その間はいたみかゆみを感じなくなったりね。



そんな風に過ごしているせいか、いろんなことが愛おしく思えてくる。


ふいに過去の記憶を思い出した時、

その時の自分が感じていただろう気持ちを、そのものに同化するのではなく、そばに寄り添って、心をひらいて見つめてみたり。


あの時わからなかったことが今わかるような気がする。



こんな風に過去の自分をみつめなおして、あらたに生まれかわるような雰囲気は、今回の冬至の雰囲気にあってるなぁ。


過去の自分を愛おしんで、成長したいまの自分を信頼する。




最近は、身体の療養のことばかり書いてますけれど、見にきてくださってありがとうございます(^^)


このいまも、また愛おしい記憶になって未来につながるのでしょう。


今ここ、がすべてを創りだす(過去のパターンに縛られずに今ここでそうありたい自分であるってこと)から、つながるっていうより、あたらしく生まれかわったわたしが、また未来から、いまのわたしをみつめる、のかな。




*****


そして、その後タイムリーに読んだこの記事。

https://ameblo.jp/holistetique/entry-12425980780.html

バニラさんのブログは前から参考にしています。

あらためてリラックスして長い目で身体をみつめようと思った。


またきっと読み直すのでここにリンクしとこ。

身体の自然の摂理のリズムがあると知りつつ、それにとらわれずガラリと変わる、ってこともあり得ると思ってる。

それは意識をどのくらい自由にするかなんだろうね。






きんきょうその4

少し前に通った道沿いのコスモス畑。


すっかり秋も深まってきましたね。

冷えてきたので、わたしは薬草風呂を再開しました。

いまはドクダミ湯。


身体の内側が整ってきたせいか、外側からの効き目も前より感じます。

薬草って興味ある、ドクダミ、ヨモギ、ビワ、とくに身近で採れるもの。


自然の原っぱが身近にあれば、そこに住む病気の人に必要な植物が生えてくる、という。

家の庭には、自然に生えたドクダミがいっぱい。


わたしはずいぶんと気持ちは元気で、肌も前よりずいぶん落ち着いてきました。

けれど、いたみかゆみを我慢しないでいられる、のを普通にするには、まだもう少しかかるかなぁ。


腕と足の肌はまだ本来の姿ではなくて、ちょっとムリをするとかゆみいたみが我慢するのも辛いくらいになる。

ので、まだまだゆったり療養メイン。


美容院、映画、ステキなこだわりのお店、友だちに会いに、行きたいところも多いのだけど、症状は緩和されたけれども、我慢しない、我慢レベルも下げたので、まだお預けです。(無意識に慢性化してしまった我慢グセを手放すのも、全体的な意味での体質改善の一部だと感じてるから)


行きたいなーと思ったら、ナチュラルにさあ行こうと動ける身体になるまで頑張らないをがんばろう。










きんきょう その3


みなさま、こんばんは(^^)


西洋占星術でいえば、8日の夜に、空の木星が射手座に入りましたね。


まだ太陽は蠍座にあるから、しっとりとした情感はまだありますが、わたしはずいぶんと気持ちが活発に、楽天的になってきました。


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食事療法を徹底しはじめて(http://chie909.jugem.jp/?eid=806)およそ8週間。


体調の波によって肌の調子も悪いときはあるけれど、全体的にラクになってきた。


長年の症状がかさなり、腕と足の肌が硬化してそこはいつもいたみかゆみの症状がある。

ここがやわらかく本来の肌にもどることが、(身体も活動も)復活の目安かなぁと思ってる。


焦りを感じることはあるけれど、まだしばらくは、リラックスモードメインでいこう。



星読み、フォーカシングは、オンラインで研究会をつづけていて、引きこもりとはいえ、刺激がもらえてありがたいです。




気晴らしに、子ども向けのファンタジー本を読むのが好きで、最近読んだのは、フランスの “ペギースー” シリーズ。


作者のセルジュ・ブリュソロは、フランスのスティーブン・キングと例えられることもあるようで、1冊目の『魔法の瞳をもつ少女』は、すごくシュールだった。

ナンセンスに感じる表現の裏には、深いメッセージがありそう。

気晴らしにするには、ちょっとわたしは怖いかな。


(スティーブン・キングの『シャイニング』は、ホラー小説として読むから、怖いもの見たさのおもしろさと、人の心の不思議さ悲しさが感じられて好き。)



2冊目の『蜃気楼の国へ飛ぶ』、3冊目の『幸福を運ぶ魔法の蝶』は、シュールな味にくわえて、ファンタジーさがよりまして、おもしろかった!


セルジュ・ブルソロがつくりだす、サディスティクな(笑)怖ろしい世界に放りこまれても、愛と勇気で冒険につきすすむ女の子、ペギースー。



不安や怖れにフォーカスするか、愛と勇気にフォーカスするか。


不安や怖れ、無力感を抱きつつも、自分のできることで、ともかく精一杯やってみる、そうしてるうちに味方も抜け道もみつかる。


そして、幸せや楽しさは、自分で創りだすものだよ、ってあらためて気づけたような。


つい悪い予想に目が向きがちだけど、その怖がりさをない事にしないでちゃんと認めつつも、ではどんな現実ならハッピーになるか、に目を向けられると、そっちに向かって考えたり行動したりしていけるね。



きんきょう その2

すっかり秋らしくなりましたね。

夜風が冷たい。

お元気にお過ごしですか。



わたしは、ゆったりに気をつけつつ過ごしてます。


これまで長い間、ほどほどで良しとしてきてしまった肌の調子を、もっとも良いところまで落ちつかせるため。



そして、体の中、腸や副腎などの機能を整えるために、過剰な刺激になるものは摂らないようにしてる。


これまでも食事は気をつけてはいたけれど、まだまだゆるやかだったなぁと。


外食など人と一緒だったりすると、あんまり気にしすぎると楽しめないな、という方が優先してしまったり、そこまで色んなことが刺激になっていたとは知らなかったりもして。


かなりいまは徹底してます。

少なくとも100日間は守るつもり。


今ちょうど1ヶ月くらい。

肌の底の方は落ちついてきた。


肌の底には、ずっーと熱っぽいようなイガイガした感覚があり、これは季節の変わり目、疲れ、体温が上がる、とかちょっとした刺激ですぐひどい症状になっていつも気になってたけど、それがだいぶ落ちついたかな。



摂らないもの

調理油(植物油)、発酵してない豆、種、乳製品(バター以外)、小麦粉、カフェイン、白砂糖、添加物

ナス、トマト、じゃが芋、ピーマン、パプリカ、唐辛子


ということで、食べられるものを見つけるの大変なんだけど、食べられる美味しそうなものを探すのが楽しみにもなってきた

(^.^)



あと、最近、フラの衣装のお直しを頼まれて、ずいぶん久しぶりに裁縫をして、なんだか楽しかったな。


7年ぶりにミシンを使ったけど、滑らかに動いてくれてうれしかったし。

少しまえにミシン用の机を作って、それがどっしりして幅もちょうどで、とってもいい感じ(^-^)


裁縫は、ずっとしてなかったから、忘れてないかな、と思ったけど、頭で考えるより、手はスムーズに動いて、身につけたものって忘れないものだなぁ、と我ながら感心したりして。


ただ、日にちがあんまりなく、寝不足になりつつ、夢中になってしまったので、ちょっと体調を崩してしまった。ゆったりできるようにしなきゃなーと反省も。




裁縫も星読みも、“楽しみ”をベースにできるようになったなぁと思う。

(ムリしないようにだけ気をつけてね)


これまでも楽しかったけど、思えばどことなく“修行”めいた感じがベースだったから。



しっかり身について自分のものにして、これからが、楽しんで創造的につかえる時期なんだろうな、という実感が、なんだか静かにトキメク感じで新鮮。あたらしいわたしになったという気もする。


まだしばらく引きこもりは続きそうだけど、体のペースを大事にしつつ、楽しみつつものづくりしたり、星読みしたりタロットしたり、してます。

もっと落ちついたら星空観測にも行きたい。

宮崎も星空がきれいなところがあるからね。



これは夏の終わり頃の日南海岸。


この日はただ家の近くに買い物に行くだけのつもりだったのに、ふいに海がみたくなり、そのまま海岸へ。


いつでも海はいいね。

空もなんてきれいなブルー。


それまではほとんど遠出してなかったから、めずらしいなーと思ったら、ちょうど火星が順行にもどった日だった、おもしろいよね。


きんきょう

今月はじめに宮崎に引っ越しました。

実家です。


家族の事情もあるし、わたし自身も今は宮崎のエネルギーがあうなーと、2月に帰省したときに感じていたこともあります。

急展開ではあったけど、自然に心が決まりました。


で、引っ越したばかりのときは疲れがでてボンヤリしていて、いまは季節の変わり目と環境の変化とかさなったせいか、肌が不安定で調子が悪く、必要最低限いがいはほぼ引きこもりです。


焦りもあるけど、落ちついて気持ちを感じてみたら、こうやってゆっくりしたかったのかもと思う。


だから、焦る気持ちだけに引っ張られずに、体のペースにそって過ごしています。


遊びましょうといいつつ、ご連絡できなくて。

気遣ってくださるみなさま、ごめんなさいね、それとありがとうございます。



棺のなかで眠るひと

昨夜の夢、ふたつよく覚えている。いまのわたしの変化につながると思うので、面白くて覚書をかねて。

 

意味がつかめたら、また解読を書いてみようと思います→ 書きました( ^ω^ )。下の方。

 

 

ひとつ目は、目が覚めたとき、なんとなくモヤモヤとして悲しい感じがした。深夜2時10分くらい(あとで空の星の配置を確かめる(^^))

 

夢の中で、わたしは薄靄のかかった湿った草原を歩いていた。

そのまえに森をぬけてきたのかもしれない。

 

草原と森のさかい目に棺があり、女の人が眠っている。

 

わたしは、そのそばに座って、彼女が目覚めるのを待つことにした。

 

彼女が白いワンピースを着ているのに気づく。薄いコットン、その質感が好きだと思う。

 

薄靄が明るくなりはじめている。夜が明けるのかな。

 

彼女はまだ目覚めない。よく眠っている。

 

 

その夢から覚めたとき、頭の中では、鬼束ちひろの『眩暈』が流れていた。

 

その歌を聴きたくなり、聴いていたら、だんだんモヤモヤした気持ちが落ちついて、また眠ったみたい。

 

 

 

ふたつ目の夢では、飛行機にのっていた。ちょうど空港を飛びたったばかり。急な角度で上昇している。

 

空に浮いているのがとても怖い。落ちたらどうする?パイロットってすごいなとあらためて感心したりして。

 

目の前のモニターに、飛行機の空路がうつしだされている。

 

空路はふたつ示されていて、わたしがのっている飛行機は、高度がたかい方。

 

怖い気持ちはまだあるけれど、高い方でよかったと思う。遠くに飛ぶの。胸が高鳴るのも感じた。

 

 *****

 

 

夢は、現実とつながっている。実際の姿とはちがう形で表現されているのだ。夢の中の姿は、自分がそのものをどう捉えているか、という意味では、真実だ。

 

そして、夢が伝えてくれたメッセージは現実に生かしてなんぼ。と夢のワークショップでならった。これは星読みもタロットも同じ。

 

 

さて、上に書いた夢、昼間に、他のことをしながら、なんとなくつらつらと感じていたら、意味がわかってきた。

 

ひとつ目。

棺は、死と再生を意味する。棺の中で眠る女の人は、わたしの分身だ。

 

ワンピースの白色、コットン、はそのままのわたし、素直な気持ち。

 

わたしの意識は生まれ変わろうとしている。よりそのままのわたしらしく。純粋に素直に。

 

(大きな変化の時期にふさわしいシンボルだね。)

 

 

森は、緑の木々や草たち、その中で生きる動物の生命力が満ちているところ。心身ともに力をたくわえてきた。

 

潜在意識もあらわす。わたしの場合、こちらの意味もつよいかも。占星術やタロット、フォーカシングを通した潜在意識の探索。心の底にあったもの。

 

森をとおく離れてはいないけれど、草原に出たということは、生命力が満ちて、探索はひと段落し、のびのびと自由に動きまわるようになることをあらわしている。

 

目覚めたときの気分からすると、薄靄は不安の要素が強いかな。過去の悲しみや怖れの残像かもしれない。

 

ただ、もうすぐ夜明けの気配がして、草原はしっとりと美しく輝きはじめていた。不安はうすれて、あたらしいはじまりへと向かうだろう。

 

 

ふたつ目

飛行機はすでに飛んでいる(いいね(o^^o)♪)

 

わたしは動きはじめている。怖がってはいるけれど、もう空の上に出てるから、大丈夫。(怖さはあるかもだけど、もうためらいはほとんどない。)

 

高度が高い空路は、これまでの自分からまたワンステップあがっていこうとしているから。(のはず)

 

パイロットは、まっすぐに自分の道をいっている人、自分の力で飛んでいる人。そういう人に憧れるし、そうなる力もあるんだろう、わたしにもね。

 

 

挿入歌(笑)の『眩暈』は、怖がるわたしの心に寄り添いつつ、同時に、大丈夫だよと信頼している自分も、わたしの中にいることに気づかせてくれた。

 

 

*****

 

星の動きとの読み合わせ。

 

まず、空では太陽と海王星が60度、明日の夜ぴったりの角度になる。

 

海王星は、夢の力を強める。

心の底に残っていた感情を浮きあがらせて浄化する。

そして、あたらしいインスピレーションをあたえる。

 

わたしの出生図のドラゴンヘッドに、空の火星が重なっている。

ドラゴンヘッドは、怖いけれど挑戦すべきテーマ。

 

そして、ちょうど夢を見ていただろう時間に、空の月がわたしの火星に触れ、太陽にも触れつつあった。

 

空の月が触れると、意識の動きを知覚しやすい。

 

火星は、行動、やり方、目的を果たす力。太陽は主体的な生き方。

 

昨日の夢は、そのイメージをみせてくれたんだね。

夢も星の動きも、人の意識とつながっている。




その後のツィート追記