『love』

 

最近のお気にいりの曲。

 

 

うっすらと泣きながら微笑んでいるような声とメロディー

 

やわらかくて深みがあって。

 

そしてまたこのビデオクリップがすごくいい♪

 

 

 

 

水星が逆行になるうごきとあわせるように、わたしのなかでもなにかがグルグルと向きをかえた。

 

ぐわーと波にのまれた。

気持ちも現実もごたついて。

 

表向きにはふつうに生活してる(たぶん 笑)けど、深いところではちがうところを漂っている感じだった。

 

いま浮上してきた感じ。

そして水のなかから顔をだしたら、くるりと何かが変わってる。

変わった、ような、さらに軽くなったような。

 

 

もうすぐ皆既日蝕もあるし、8月の魔法はまだつづく。

 

 

 

『These words』

2才の姪っ子は、元気がよくて『となりのトトロ』のメイちゃんを思わせる。

思いきり、笑って、泣いて。

 

クマノミの水着をきて(#^.^#) 海で遊んでいるところ

 

 

 

 

まだうまく伝えられない言葉もあるけれど、今やりたいことを思いっきり主張して。


気持ちをすっごく素直にあらわす。

(腹式呼吸でお腹の底から声をだすのがすごいおかしくて可愛い 笑)

 

そんな彼女と遊んで、わたしの胸のなかでいま流れているのはこの歌

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カタツムリのアップリケのTシャツ(ハンナハンナ)をプレゼントしたときのエピソード

 

 

夢の子猫があらわれた


おとといの夜、夢に猫がでてきた。


細かいシチュエーションは憶えてないけど、ある家の中に、わたしは妹か女ともだちと一緒にいて、出口を探してる。


ウロウロしながら入った、となりの部屋で猫が寝ていた。


猫がぱっかーんと体を開いていて、そのリラックスした姿がおかしくてクスクス笑う。


わたしたちがなぜ出口を探しているかというと、つぎの家に引っ越すため、みたい。


なかなか出口が見つからない。。。


けれどあせってるわけでもない。

そんな夢。



そして、昨日の、現実の夜、子猫たちが遊んでいるのを見かけた。

暗がりからジッとわたしを見ていた。

警戒されてる!

ちっちゃくて可愛い♪

なんにもしないよ。




とそこで、前日の猫の夢を思いだす。


つぎのステージ(新しい家)にいこうとしてる気持ちと、まだなじんだ場所でリラックスして遊んでいたい気持ちと。

そんな時なんだろな、と思った。


あっ、子猫じゃなくてわたしがね。



夏バテで鬼の洗濯岩

最近は夏バテなのか、めずらしいことに食欲がそんなにない。


ぜんぜん食べられないわけじゃなくて、いつもより食べたくならないだけだけど。。

(ぜんぜん食べられないってほとんどない(°▽°)



このまえのフォーカシングでは、いくつかイメージがでてきたけれど、おもしろかったのは、わたしの体の中がうす暗くて、それを感じてたら「あっ、いま省エネモードなんだ!」とひらめいたこと。


どうりで最近は、なんとくおとなしい(自己申告)気が。

あせらず、することを順番にこなしながら、ゆったり過ごそ、っと。



こんなときは海をイメージする。


大好きな宮崎の日南海岸♪

これは、鬼の洗濯岩と青島神社






妄想 宇宙大学院

思えば、いまのわたしは学生みたい。



それも、インターンしつつの研究レポートにおわれている大学院生。(大それたことをしているワケではまだないけれども。そして、大学院に通ったことはないから、たんにそんな気分、というたとえなのです、ご容赦をね(*^ω^*)



望むほうに素直にいって、手を伸ばして、応えてくる流れにのっていったらこうなっていた。


頭でアレコレ考えるときには、いいのかしらなども思うけど、カラダと心はこれでいいのだと言っている。



たいへんだー、ひー(゚o゚;;

と言いつつ、どれもものすごくおもしろくてやりがいもすごーく感じてる。




こんな妄想がおもしろいので、ついでにノリで、わたしの専攻はなんだろぅと想像してみる♪



うーん。。。( ˙-˙ ).。oO





宇宙大学院、占星学部の、宇宙レコード司書科、ってところかな。


太陽系をメインにして、宇宙に存在するエネルギー(これが図書棚にはいってる)が地上でどう使われたか、調査する。


あと、宇宙に存在するエネルギーをさらに深く引きだして、地上で創造的に使うためのお手伝いをする、地球相談窓口担当。


宇宙図書館に親しんでもらえるように広報活動もする。



…のような。(^^)



しばらくなりきって楽しめそうです。




真っ白なスクリーン


部屋のようすは、心のようすとつながっている。


あらためてそれを感じた出来事。



数日まえから、だんだん部屋がごちゃごちゃしてきていた。

腕の肌が腫れているので、片づけるのがしんどくもなっていて。


今日は、頭もカラダもスッキリ軽い。

ちょっとモノをうごかしたついでから、サクサクと片づけられた。


その上、なんとなーく、こうしよう、と思うままにちょっとした模様替えまでした。


1ヶ月ほど前に、必要があって買ったけれど、結局つかわなかった、大きめのホワイトボード、ちょうどいい場所におさまった♪


お気に入りの絵葉書など貼る。

思いついた言葉を描いてみる。

なんだかとても楽しめるスペースになった!



そして、いま、ピカピカでつるりとした真っ白のホワイトボードを見つめつつ、「これはどこかで見たぞぅ」と心がモゾモゾした。







あー、思いだした!

これは、4月のフォーカシングでわたしの内側にあらわれた、輝く真っ白のスクリーンではないか!(私の中のおサルさんhttp://chie909.jugem.jp/?eid=768


買った時にはそんなこと少しも思いださなかったけれど。。


そして、使い道がなくなった時も、なんだか不思議なくらいムダにしちゃった感がなく、これはわたしに必要なの、となんとなく思っていた。



昨日(もう一昨日かな)心が揺れて古い記憶や妄想的不安がデトックスされた。

そしたら、あたらしいわたしと再会した気がした。(http://chie909.jugem.jp/?eid=778



そのわたしはさらに自由でクリエイティブで遊びたいのだ。ホワイトボードは、そんな、あたらしいわたしのための準備だったんだなー。


心のスクリーンに気がついたのは4月。

5月にはボードを手に入れていたけど、わたし自身の意識が変容するまで、待っていた、んだろうね。


と気づいたのがおもしろくて、もう眠りたいのに目が冴えて、こうして日記を書く 笑。


記録しとくとまたあとで何かを見つけられるかもしれないし。



ホワイトボード。

まっさらに白く、輝くキャンパスのよう。

そこに何を描こうかとワクワクする心。

創造性がでてきたがっている。

これからのわたしをあらわしている。


選ぶ持ち物は、その時の生き方の象徴でもあるね。



夕立、そして何かかわった


昨日の夕方、空が曇って、大粒の雨がポタポタきたと思ったら、すぐにはげしい雨にかわり、大きな雷もおちてきた。


とても近くに聞こえる雷の音には、飛びあがるくらいびっくりしたけれど、1時間もしたらすぐにあがり、また太陽が照りはじめた。




昨日の昼すぎまでは、その前の夜の夢のつづきか、モヤモヤとした感情や記憶、そして、不安な予想図などが胸にあふれて、不安定な気分。


はげしい夕立と雷は、そんなモヤモヤを洗いながし、妄想的不安をうち砕き、すっかりスッキリ。


一夜あけた今は、さらに、まっさらな気分。あたらしい自分になったみたい。


あたらしい自分、ともいえるけど、はっきりと見えなくさせていたくすんだカバーをとり去ったような感じ。

ずっとわたしはわたしだったけど。


もっと澄んだそのままの本質で受けとめられて、再会、した。


最近、聴きたくなってよく聴いてる『See you again』

あらためて歌詞を読んでみたら、今の気持ちにしっくり。



あたらしい意識でとらえなおしたわたし。

昨日の夜から今朝にかけて、身になじんできたみたい。


海王星の逆行とかさなるタイミングでね。

その時刻表でいうならば、これから約半年間をかけてじっくりと、あたらしいわたしとさらになじんでいくのかもね。

精霊のやどる場所

昨日は、タヒチアンストーリーショーを観にいった。

ダンサーたちがとても可愛くて、楽しくて、とてもハッピーになった。


タヒチアンってどうぶつっぽいなぁとはじめ思って、なんか大地のうえで原始にちかい生き物がとびはねているみたい。

ああそうか、精霊ってこんな感じなのかもな、と。


とくに、先生の踊りは、微笑みも体のうごきのしなやかさも、ひとまわり、ふたまわり大らかにうつくしくみえた。


そして、あたたかい振動のような何かが、波のようにブワーっとくる感じ。


その時に、ああ、ほんとうに精霊ってやどることがあるんだろうな、と思った。


言葉になりきらない感覚のなかで、いろんな別々のカタチをした生き物たちが、ひとつの生命体のように、うねりのなかで調和しているようなイメージもわいた。


精霊は、やどれる器があるところに舞いおりるんだろうな。


その器をつくるのは、想いや理解、感じる心、のようなものかなぁ、と。





今日、別の用事ででかけて、本屋さんが目についたので、ふらっと入った。


そして、これまで買ったことのない分野の本が欲しくなって買った。


前から興味はあったけど、もういちだんかい踏みこみたくなったのかもね。




この、微生物の本に、精霊の話が書いてあった。


『精霊は人々を選びます。精霊は純粋意識にしか宿ることができないので、精霊は初めから自分たちを理解できる意識に達した人々を選んで、連れてきます』

だって。


そうなんだー。おもしろい。

今のわたしにはすーっと入ってくる。

(どこから連れてくるのか、とか宿るとどうなるのか、とか細かいとこは気になるけど 笑)



チャクラの本は、ワークブックなので、いろいろ体験できそう(^^)

読みきれるかな。

歌をうたう人


星のうごきを読むって、命の歌に耳を澄ませること。


と頭に浮かんだ。


なんだか詩的でステキな言葉。


とニマニマしてたら、ふと気がつくと、お隣の棟の留学生が、ギターを弾きながら歌をうたいはじめていた。


まだ明るい夕暮れ時。



姿を見たことはないけれど、彼は、ときどき、わたしのしる限り、1ヶ月にいっぺんくらい、中庭で弾き語る。


ギターをかき鳴らし大きな声でのびのびと。


この前も、今日のように気持ちよく晴れた昼下がりだった気がする。



あー、歌いたい、って気分になったときにギターを片手に外に出てくるんだろうね。


それがまたよい選曲なんだ。

歌い方も声も素直で、いいなと思う。

知らない歌が多いけど、聴きいってしまう。


たった今は、途中に語りが入るタイプの歌。

その語りも照れたりせずに、自然に心のままに、って感じ。



歌いたくなって、緑でいっぱいの公園みたいな中庭に出てきて、歌いたいだけうたう。

体いっぱいに生きてるって感じがする。



体の奥とつながった心の声は道しるべ

この記事は昨夜いったん書いたのだけど、なんとなく違和感があって、ひと晩眠ったら、頭がすっきりして分かってきたので、書き直し。

 

 

長くて、まとまりきらず読みにくいかもしれません。

そして、気付いたことがあったら、また書き直すかも。。。

 

そんな記事ですが、読みにきてくださって、ありがとうございます。

 

 

国立天文台に行ったあとで思いだした、わたしの内側にいた、ヤービ君。

 

ヤービという、ハリネズミみたいな不思議な生き物の男の子。

 

虫眼鏡をもって川辺や森を歩きまわって、いろんなものを調べるのが好き。オトナになったら学者になりたい。

 

わたしは、実は7年前に彼を見ている。

 

 

7年前、占星術で何かできるんじゃないかなと九州から関東に引っ越してきたとき、わたしは、まずはじめにフォーカシングのセミナーを受けた。

 

このセミナーを受けるのは、直前、ふとしたきっかけで決めたの。(今は偶然ではなかったと思うけど、なんとなく気になった本から繋がった流れ。)

 

このセミナーに参加するまえには、実際にフォーカシングの個人セッションを受けなきゃならない。

 

それで申し込んだら、ちょうどフォーカシングの分野では著名な方の担当の日だった。

 

先生は、自然で軽やかなコミュニケーションをされる、キリッとしつつも気さくな雰囲気の女性。

 

自然な会話の基盤には、もちろん研究と洞察と身につけた技法とでつくられた安定感がある。

 

たぶん先生の対応が合っていたのもあり、わたしははじめてフォーカシングをしたのだけど、おどろくほど自分の内側を感じることができた。

 

この時に、このヤービ君、実は現れていたんだよね。そのものの姿ではなくて、小さな妖精みたいな男の子だったけど、していたことは同じ。

 

野原で遊んで、拾ったものをもちかえって、調べたり磨いたりしていた。明るい洞窟みたいな部屋で。

 

「自然のなかで遊んで、みつけた素材をそのまま生かした美しいものをつくろうとしています。ひとりでこもってした方がやりやすいみたいです。」と言うようなことをわたしは言った。

 

先生は、それがわたしの現実の生活のなかで、何に関係しているか、感じられるか尋ね、わたしは分かるような気がうっすらしたけど、それがあまり良いと思えなくて、曖昧な答え方をした。

 

でも、先生は感覚がやはり鋭く、あなたは本当はそれを求めているんじゃないかしら、というようなことを、さらりとおっしゃった。ぜんぜん押しつけがましくはなくて、わたしは首をふって、「分かりません」、と言ってから、もしかしたらそうかもしれないけれど、今は、しなければならないことがあります。というように説明したと思う。

 

フォーカシングはあくまでも本人の気づきが大切なので、アドバイスしたりはしない。それはコントロールだから。

でもガイドはする。

 

このヤービ君の感覚は、セッションの最後ででてきたので、時間も限られていた。

ふつうであれば、次のセッションへとつづく流れになっただろうね。

 

ただこのセッションは、セミナーのための体験をかねた位置づけでもあったので、先生とは、この感覚を大事にして、セミナーを受けることでまた、分かってくることもあるでしょう、というような話になったと思う。

 

そのあと、先生が講師のセミナーは3日間みっちり。

 

わたしはこのセミナーのはじめのフォーカシングの時に、自分の心がクリアボックスみたいなものが重なった、大きな棚のならぶ倉庫みたいになっていることに気づいた。

 

生々しい感情はそのボックスに整理されて、外からは半透明のクリアボックスごしに、ぼんやりとしか見えない。

血のような色をした赤い感情は、クリアボックスにはふさわしくなく見えた。

 

このセミナーでは、何度もフォーカシングをして、わたしは、ヤービ君的な自分を認めることはできた。

ただ、そうしたい自分がいることは分かっても、実際に行動にうつすことができなかった。

そのために、いったんフタをして保留したんだと思う。

 

これは自分で分かったうえでしたこと。

上手くいくのか分からなかったし、自信もなくて。占いライターとか、仕事になりそうなことをした方がいいと思ったし(そのあとすぐに向いてないと分かったけど)、わたしは引き受けられない心にフタをして、頭で考えた方向へ進んで行った。

 

だから、たとえ、この時にもっとハッキリ言われたとしても、その時には、こうする方がいいはずだと決めていることがあり、まだどうしたらいいのかも、うまくできるのかも、自分を信頼しきれないこの時の私は、受けいれられなかったんじゃないかな。

 

たとえまわり道のようでも、体験をして、そして、思うことは、とっても大事と思う。その機会はわたし自身のもの。

その過程のなかで、自分への信頼をとりもどすこともある。

 

いま思えば、占星術なんかのツール(虫眼鏡)を使ってわたしがしたいことはそれだったんだよね、はじめから。そのままを観察して、理解して、読み物として伝わるように書いてみたい。

 

結局は、いまの場所にたどり着いたのだからいいし、いろんな経験に感謝している面もあるから、後悔とかではないの。

今後にいかせる学びもある。

 

むしろ、その望みをかなえるために、自信がないながらも、葛藤し迷いながらも、心の奥の何かが指ししめす方向へと歩いてきたから今にいたる、ということだろうな。

今のわたしが手にしている学びの場やご縁は、ヤービ君的わたしを育める豊かなものだと感じるから。

 

 

はじめ書きたかったのは、『心がうったえていることを見たとしても、軽く受けとめたり、否定的にあつかってしまうことは多いってこと。心の存在の重要さを理解しないかぎりね。』

だったんだけど、いったん書いた後で、心が動いて焦点を探していたら、少しずれていた。

 

この話で思うのは、自分の中の真実に気づいても、それを自分のものとして受けいれたり、形にしたりするのには時間がかかることもある、ということ。

 

 

自分の中にたくさん道を示しているものはあるけれど、受けとめられない時期もあるんだろうね。

 

そのサイン自体を見つめられない時もあれば、見つめても環境を変えることが難しく感じる時もある。

今はまだ力が足りないと自信がもてない、とかも。

 

わたしは、ずっと観察的な書き方をしてはいたんだけど、その自分をどこかで否定的にとらえていたんだと思う。

ちがう自分にならなければ上手くいかないと無意識に思いこんでいたことに、今回気づいた。

 

ここまで、そうとう、いろんなものを解き放してきたけれど、まだこんな思いこみから解放されきっていなかったとは。

 

自分への信頼をもて、無力感からの解放、があって、やっと手放せるのかもしれない。

一歩一歩、実際に重ねてきた体験が、自分への信頼を強めてくれた。

 

もう今は、体にリンクした心の声を聞くことがふつうになってきたから、あの当時のわたしに、ちゃんとここにたどり着くから、と言ってあげられる。安心してね、大丈夫だから、と。

 

これは、未来のわたしから、いまここにいるわたしに聞こえる声でもあるみたい。

いま行くところを見つけたわたしは、前ほどには怖がって無力に感じてはいないけど、やっぱりはげまされる。